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愛の言葉をマターリと語れる世界は、どこに? っていう話です。

相手の言葉で自分が傷つき。。。

自分の言葉で相手が傷つき。。。

よくあるよねー。

てか、そんなんばっかやん。。。

その傷の深さによっては、人間関係が修復不能なほど壊されてしまうこともある。

だから、聖書は「舌」について、こう評価しているんだ *。

舌は、疲れを知らない悪で
死をもたらす毒に満ちています

やばいよ、舌。死をもたらす毒だもん。

しかも、疲れ知らずだから、何度でも、何度でも、無限に繰り出せる、っていう。。。

さらにやばいのが、聖書がこう言ってること **。

舌を制御できる人は一人もいません

つまり、コントロール不能の致死性のポイズンが無限に繰り出されるという脅威に、われわれはさらされていることになる。

それって、地獄やん!!!

これは自分の想像だけど、こういう「舌」の持ち主であるわれわれが、舌をそのままにした状態で死後の世界を永遠に過ごすことになったら、そりゃあ地獄にもなるよなー、って思うんだ。

今日の聖書の言葉。

いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。
コロサイの信徒への手紙 4:6 新共同訳

コントロール不能な致死性のポイズンを無限に繰り出す「舌」を、どうやったらコントロール下に置いて無毒化できるんだろう?

それはやっぱり「神」のパワーによるしかないよね。

まあ、その理由は、神は神だから何でもできる、ってことによるんだけど。。。

今日の聖書の言葉で、こういう表現が出て来る。

塩で味付けされた快い言葉

聖書では塩という単語でもって、神のスピリットである「聖霊」を暗示している場合がある。

なので、ここでは自分は、こういうふうに考えたいと思う。

舌によって相手を傷つけ、舌によって相手から傷つけられる。そんなふうにしてズタボロになってしまう人類を、イエスにおける「神」は十字架と復活によって完全に赦し、永遠の命を与えてくれた。

問題はこの先だ。すべての罪を赦された人類が、コントロール不能な致死性のポイズンを無限に繰り出す「舌」を持ったままの状態で永遠の世界に行ってしまうと、そこがとんでもない地獄になってしまうのは自明じゃん?

だから、完全な赦しを受けた人類に対して「神」は聖霊を注ぐ必要があったんだと思う。

それが起きたのが、イエスの十字架と復活から50日後に起きた聖霊降臨・すなわち・ペンテコステの出来事だったんじゃないだろうか?

そう考えると、どうして聖霊が炎のような「舌」の形で降臨したのか、なんとなくわかるような気がするよね。

炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録 2:3-4 新共同訳

聖霊は、神の愛であるわけだけど、神の愛が自分の舌に浸透することによって、ちょうど塩で味付けられるみたいに、愛によって味付けられた「舌」になってしまうはず。

そういうふうに愛によって味付けられた「舌」を持った人類・つまり・聖化された人類が住む永遠の世界は、みんなが愛の言葉だけを語り続けるマターリとした世界になるはずなんだ。

註)
*  Cf. ヤコブ 3:8
** Ibid.

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