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遭いたくない試練に遭ってしまった。。。どう耐えたらよいのか?

世界や人生に、なぜ悪があるのか?

この問いは、神義論(Theodicy)と言われる、難問中の難問だ。

これに万人が納得できる答えを出せる人がいたら、ノーベル神学賞を受賞すると思う。。。そんなの、ないけど。

聖書は、クリスチャンにとって「神から与えられた本です。以上。ジ・エンド」で終わってしまいがち。だけど、別の見方をすれば、「世界になぜ悪が存在するのか?」という問いに答えようとする人類の苦闘が、聖書に結晶した、と言えるかもしれない。

聖書は、悪の問題を、どう描いているんだろうか。。。

これに踏み込むと、必然的に聖書の全ボリュームにコメントしなくちゃならないので、やめておく(汗)

ただ、聖書は結論部分に近いところで
①悪の問題はイエスの十字架と復活によって解決された
②悪の問題の根本的解決はイエスの再臨=世界の終末を待っている
③現状では悪は「試練」という意味付けを与えられている

という主張をしているように、自分には思える。

②については確かに、世界が終われば、世界内の悪も終わってしまう。。。それを言っちゃあ、おしまいよ、という感じがしないでもないけど。。。これは究極の解決方法だから、神にしかできない。

でも疑問に感じるのは、じゃあ、なんで神は世界の終末を遅延させているのか? ということだよね。この「再臨の遅延」の問題は *¹、実際にイエス・キリストが再臨する日まで残り続けることになる。

③については、現状では、悪を「試練」として受け止めなさい、ということ。もちろんそれは、好んで悪を作り出せ、というわけではなく、基本、すべての悪を避けた方がいいに決まってる。

ただ、どうしても悪に直面せざるを得ない場合には、試練として受け止めるしかないよね、ということだ。

今日の聖書の言葉。

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。
ヤコブの手紙 1:12 新共同訳

絶対に試練には遭いたくない。。。

イエスだって「主の祈り」のなかで次のように祈りなさい、と勧めているぐらいだし *²。

わたしたちを誘惑に遭わせず
悪い者から救ってください

でも、イエスの弟である長老ヤコブは、「試練を耐え忍ぶならば、命の冠を得る」というふうに、試練がもたらす積極的な面に触れているんだ。

「命の冠」。。。それは、たぶん、試練に耐えることによって身に着けられるキャラクター(品性)なんじゃないか、と思う。

試練によって身に付くキャラクター。。。

どんなキャラクターなんだろう?

スピリチュアルケアの研究者であるヴァルデマール・キッペス *³ は、「スピリチュアルなひと」の属性を、次のように描いている *⁴。

スピリチュアルなひと
● 本物(本物)=自分であること。
● 心・霊・魂の体験を持ち、あるいはこうした体験を期待していること。
● 過去でなく「今」、どこかではなく「ここ」にいること。自分で責任を取れる人間であること。
● 期待して待つこと。
● 病んでいる人から学ぶ心構えを持つこと。
● 病んでいる人を活かすこと。
● 病んでいる人を同じ人間同士として相手にすること。
● 計画どおりではない状態、コントロールのできない状況に耐えること。
● 人間は万能ではなく、限界のある存在であり、死ぬことと死を認識していること。
● 自分自身の遺言や葬儀のやり方を作成する勇気を持つこと。
● 解決できない問題を生きること、あるいはその問題と共生すること。
● 自他の尊厳。
● 自他を大切にすること。
● 謙遜、柔和であること。
● 自愛。
● 真理に基づいている人生を送ること。
● 真実を語ること。
● 沈黙や静けさに親しんで、それらに慣れていること。
● 祈れること。
● 独りでおり、孤独や疎外されていることを耐えること。
● 退屈を耐えること。
● 無力を耐えること。
● 何々をする人より、何々である人になることに中心をおくこと。
● 物事をゆっくり味わって生きること。
● 信頼できること。
● 不思議がる心を持つこと。
● 感動する心。
● 自分の価値観、長所を知っていること。
● 自分の哲学と人生観を持ち、人生の意義即ち、生きること、苦しむこと、死ぬこと、死の意味を追求すること。
● スピリチュアルな人とは、以上の特質を完璧に持っていることを意味するのではなく、これらの状態を目指し、身に付けようとする目標を持っている人である。

いま、みんなが遭っている最大の試練は、コロナだ。

神さま、なんでコロナを許容してるんですか? いつまで耐えればいいんですか? って、叫びたくなってしまう。まさに、神義論の問いだ。

でも、残念ながら、神がテレビや YouTube に登場して回答することはない。

なので、答えのない問いを抱えたまま、耐えるしかないわけだけど。。。

しかし、コロナを耐え忍ぶことを通して、自分的には少なくとも次の8つの属性が身に着けられるんじゃないか、と期待している。逆に言えば、人生が順風満帆、すべて思い通り、願い通りに進んでいたら、なかなかこういうキャラクターにはなれないんじゃないかな。

● 計画どおりではない状態、コントロールのできない状況に耐えること。
● 人間は万能ではなく、限界のある存在であり、死ぬことと死を認識していること。
● 自分自身の遺言や葬儀のやり方を作成する勇気を持つこと。
● 解決できない問題を生きること、あるいはその問題と共生すること。
● 独りでおり、孤独や疎外されていることを耐えること。
● 退屈を耐えること。
● 無力を耐えること。
● 何々をする人より、何々である人になることに中心をおくこと。

註)
*1.  Cf. ペトロ 二3:9 使徒ペトロは、イエスの再臨(世界の終末)が遅延している理由を、神が「すべての人が悔い改めに進むことを望んでいるため」と説明している。
*2.  Cf. マタイ 6:13
*3.  ヴァルデマール・キッペス(Waldemar Kippes)は、NPO法人臨床パストラル教育研究センター理事長。文学博士。1930年ドイツ生まれ。1956年来日、鹿児島県にて司牧活動に従事。ラ・サール学園、鹿児島大学、上智大学、南山大学、アントニオ神学院講師を経て1995年久留米聖マリア学院短期大学教授。1976年より東京「いのちの電話」スーパーヴァイザー、1991年姫路聖マリア病院で臨床パストラルケア教育の指導、1998年臨床パストラルケア教育研修センター所長、2007年よりNPO法人臨床パストラル教育研究センター理事長。
*4.  ヴァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア』サンパウロ、pp.182-185.



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