見出し画像

光速スピードかそれ以上で航行できる宇宙船で、宇宙の果てまで行ったとしても、やっぱり神はそこにいる。

永遠の朝に目覚めるかなと思ったけど、日常の朝に目覚めた今日。

ワクチン接種の1回目はこともなく終わり、腕も上がるし、痛いところもない。副反応についていろいろ聞いていたので、拍子抜けだったかな。。。

今日の聖書の言葉。

神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。
詩編 139:23-24 新共同訳

悩みって言うほどではないけれど、心配っていうカテゴリーには相当するよね。ワクチン接種したらどうなるだろうっていう気持ちは。

生きてると目の前に複数の選択肢が出てきて、Aを選ぶかBを選ぶか、どれも選ばないかっていう「迷い」が生じる。

50年も生きてると、それなりに経験値が積まれて、物事がどう運ぶかある程度シミュレーションすれば予想が立つはずなんだけど。。。

コロナ禍という絶対的不確実性の時代が到来しちゃって、何がこの先あるかほんとわからない、という世界になり。。。

だから自分の予想に自信が持てない。

こういう場合、自分はクリスチャンなので、神に祈るしかないよなーと思わされる。

「神」って普遍概念であるわけだから、宇宙の住人全員にあてはまるなにかしらであるわけだけど。。。

でも、普遍でありながら、同時に「神」はこの自分というたったひとりにパーソナル・テイラードされた(個人の要求にぴったり合致した)神でもあるんだよね。

詩編 139編はまさにそれを歌っているんじゃないかと思う。

1 主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。

なんと、神はこの自分をリサーチしていると言うんだ。

2 座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。

リサーチだけでなくモニタリングもしている。神はこの瞬間も、自分の一挙手一投足を見ている。それによって、自分の今後の行動を神は予測できるのだ。

3 歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。

自分の行動。。。あることをしたり・しなかったりを神は見ながら、行動の背後にある「動機」まで見抜いている。おそるべし、神。。。

4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。

自分は自分の思いを全部自覚できてるわけではない。言語化される以前の意識なんてわかりようがないからね。でも、言葉を発する以前のこころの奥底にある思いを、神はいま・もう・すでに知っているんだ。

5 前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。

神は遠い宇宙の果てから眺めているわけではない。神は神の方法によって、いま・ここで・この瞬間、自分と共にいてくれる。自分が気づかなくても、目の前に神がいて、背後に神がいて、上から神が「神の手」で自分をカバーしている。

6 その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。

どうしたらそんなことができるのか。人間に過ぎない自分には理解できない。でも、神は神だから神の方法でできるのだ。

7 どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。

そういう神だから、神から逃れるすべはない。神は自分を見ていないとか、神は自分と共にいないと思うことは錯誤なのだ。

8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。

天国にも神はいるし、陰府にも神はいる。ペトロの手紙一 3:19 によれば、キリストは十字架の死後、陰府に降下し、死者たちに福音を宣教した。福音の光は宇宙の上から下まですみずみまで届いている。

9  曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
10  あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。

あけぼののつばさ号。。。光速スピードかそれ以上で航行できる宇宙船で宇宙の果てまで行ったとしても、やっぱり神はそこにいる。

11 わたしは言う。
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。
夜も光がわたしを照らし出す。」
12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。

悩みのなかにある時、人生は暗闇だと感じてしまう。しかし、神にとっては光も闇も変わらない。闇のなかでも神は見ることができるからだ。どんな暗闇も神と自分の間に立ち入って、こころのつながりを妨げることはできない。

13 あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
14 わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
御業がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。
15 秘められたところでわたしは造られ
深い地の底で織りなされた。
あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。

神は、自分の人生のすべての日々に記されたすべての出来事をすべて知り尽くしている。過去も・現在も・未来も・骨も・内蔵も・DNAの塩基の配列も・こころの奥底にある思いも・願いも、神はすべてを知っている。

17 あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。

すべてを知った上で、神は自分のために「特別な配慮」をして、すべての必要を満たしてくれる。どうしてそこまでしてくれるのか? 理由は神だから。

18 数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。

神の「特別な配慮」は、自分には計量不可能なほど多い。いま・この瞬間も、数億・数兆・数京・それ以上のオーダーが神によって自分のために発せられ続けている。それは終わることがない。

19 どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。
わたしを離れよ、流血を謀る者。
20 たくらみをもって御名を唱え
あなたの町々をむなしくしてしまう者。
21 主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み
あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし
22 激しい憎しみをもって彼らを憎み
彼らをわたしの敵とします。

人生に立ちはだかる「敵」についても、神が対処してくれる。心配するのはやめよう。

23 神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
24 御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。

自分のすべてを知っていて、ありとあらゆる「特別な配慮」をしてくれる神。理論的には、自分が神に祈る必要すらない。なぜなら、祈る前から神は祈りに応えてくれて、求める前から神はすべてをあたえてくれて、願う前から神はすべてをかなえてくれるから。

神の決意は明確だ。それは、キリスト・イエスにあって自分を「永遠のいのち」に導くこと。そのことは、神の意志のなかですでに決定している。自分がするべきことは、その神のとほうもない善意を信じて迷いを神にゆだねることだ。

結論は。。。

感謝の祈りをささげて迷いをゆだね、そして、選ぼう。Aでも、Bでも、そのどれでなくても。信じて祈って選んだことは、なんであっても神は祝福してくださるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?