正義の洪水によって世界が阿鼻叫喚の地獄にならないための安全策について、っていう話です。
なんだか最近、ちょっとしたことで激高してしまうひとが、多いみたい。。。
疫病による長い自粛生活で相当ストレスが溜まっているんだろうなあ、ということは、まあ、想像はつく。
あと、時代の先行き不透明感もあるよね。。。
70年代のガルブレイスの「不確実性の時代」というパワーワードを超えて行く「絶対的不確実性の時代」というスーパーパワーワードを掲げなきゃいけない有様だもの。。。
ストレスを抱えていると、イライラしてきて、カッカしてきて、感情のマグマだまりが沸騰してきて。。。
その負のエネルギーを抱えていたら、とてもじゃないけど、やっていけない。
だから、負のエネルギーを解放させる必要があるわけだけど。。。
でも、何の理由もなく、ただ爆発していたんじゃ、そりゃー、ただの無謀な爆発であって、世間的には、それってどうよ? ってことになる。
この「世間」は、けっこうな圧力となって個々人のうちに内面化されているもんだから、人間って理由もなく爆発することは、そうそうできない。
だから、爆発してよい正当な理由を、みーんなココロのどこかで探し求めているんじゃないだろうか?
うん、うん、これはオカシイ、マチガッテル、批判されて当然だ、という事物や事象や他人のコトバ・フルマイを見つけることができたなら、これは「爆発してよい口実」をゲットしたことになるよね!
そこで、爆発する権利を行使して、爆発する。
それが、他人から見たら、激高なんだけどさ。。。
今日の聖書の言葉。
正義を洪水のように 恵みの業を大河のように 尽きることなく流れさせよ。
アモス書 5:24 新共同訳
正義を洪水のように流れさせたら、それは万人に「爆発してよい口実」をあたえることになるんじゃないかと思う。
人間は罪人であって、世界には構造的な悪があって、怒りを爆発させて当然の事柄が、ほんとうにいっぱいある。。。
そこへ、正義を洪水のように流れさせたら、それによって起きる化学反応はスサマジイものになるに違いない。
だから、今日の聖書の言葉は、こうコトバを継ぐ必要があったんだろうね。
恵みの業を大河のように流れさせよ
恵みとは、他人をどこまでも寛容に受け入れて、その失敗や罪も赦してしまうココロの広さだ。
まあ、人間が発動できる恵みのボリュームなんて、タカが知れているわけなんだけど。。。
でも、神は、イエスの十字架と復活によって全人類の罪を赦す、という驚くべき挙動に出た。それが新約聖書のテーマだ。
その結果、この世界は、無限のボリュームで恵みが流れ込んで来る状態になってしまったんだ。
この世界から、あらゆる悪が除去され、あらゆる罪が根絶されるべきだ! そのために、正義を洪水のように流れさせろ!
。。。もし、このスローガンだけだったら、世界は爆発し激高する人だらけの阿鼻叫喚の地獄と化してしまうだろう。
でも、恵みの業が大河のように、この世界に流れている。
それは、イエスの十字架と復活の出来事から、無限のボリュームであふれ出る、尽きることのない恵みだ。
世界でも、社会でも、個人のココロのなかでも、正義と恵みが、絶妙な配合で混ざり合うならば。。。
そうしたら、爆発を回避しながら、物事も人間も、しずかに、やさしく、良いほうへ、良いほうへ、変わって行くことができるんじゃないだろうか。。。
自分はそれを信じたい。。。
そうじゃなかったら、爆発するしかないんだもん。
こんなふうにさ。。。
ふざけるな! このバカヤロー!
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