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アルゴリズムじゃない神と共に生きる。

聖書を読んでいるとおもしろいなあ、と思うのは、「耐え忍びなさい系」の言葉と「大盤振る舞い系」の言葉が、交互にちりばめられているということ。

ほんと、不思議だ。

耐え忍びなさい系は、試練や苦難にひたすら耐えなさい。そうしていれば、忍耐はあなたの品性を練り作り、結果、あなたはすばらしいキャラクターになれますよ、という勧めのもの。

たとえば、これ。ローマ5:3-4だ。

わたしたちは知っているのです
苦難は忍耐を 忍耐は練達を
練達は希望を生むということを

いっぽう、大盤振る舞い系は、祝福がじゃぶじゃぶと湯水のように与えられ、あふれてしまい、使い切れずに、あまってしまう、というもの。今日の聖書の言葉なんか、まさにそれだね。

今日の聖書の言葉。

神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
コリントの信徒への手紙二 9:8 新共同訳

鍵となる「満ちあふれさせる」という動詞は、ギリシャ語の原典では περισσεύω (ペリセウオー)という単語が使われていて、意味は「普段必要としている以上に与える」「有り余る程に与える」「使い切れず残ってしまうほどに与える」という、まさに大盤振る舞いだ。

新約聖書は(旧約聖書もだけど)神によって霊感された言葉だから、そこに書かれている約束は、すべて実現するはず。クリスチャンはそのことを信じ、期待して、生きている。

じゃあ、これら、耐え忍びなさい系の言葉と、大盤振る舞い系の言葉は、どういうコンビネーション、あるいは、どういうセット、オーダーで、われわれの人生に実現して来るんだろうね?

忍べ・忍べ・忍べ・忍べ・大盤振る舞いドーン、というオーダーで来るのか。

あるいは

大盤振る舞い・忍べ・忍べ・忍べ・忍べ、というオーダーで来るのか。

それとも

大盤振る舞い・大盤振る舞い・ちょっと忍んで・大盤振る舞い、というオーダーなのか。

絶対3番目のやつがいいじゃん!

さっき、クリスチャンは聖書の約束が実現することを期待して生きている、と書いたけど。。。

それって、ちょっと修正しないといけないかも。

クリスチャンは紙に書かれた文字を信頼しているわけではなく、神を信頼して生きているんだよね。

紙じゃなく神だ。

神は生きた人格だ。機械やアルゴリズムで動いているのではない。自由な生きた人格なんだ。

生きた人格に期待して生きる、ってことは。。。

神がわれわれの期待通りロボットみたいに動くことを期待する、のじゃなくって、神はいつもわれわれの期待を超えて動いてくることを驚きと喜びをもって体験する、ってことなんだと思う。

期待を超えて来る神。

そんな聖句が、あったっけ。エフェソ3:20だ。

わたしたちの内に働く御力によって
わたしたちが求めたり
思ったりすることすべてを
はるかに超えてかなえることのおできになる方

期待を超えて来る神と向き合って生きる人生。すると。。。

忍べ・忍べ・忍べ・忍べ・大盤振る舞いドーン、なのか。

大盤振る舞い・忍べ・忍べ・忍べ・忍べ、なのか。

大盤振る舞い・大盤振る舞い・ちょっと忍んで・大盤振る舞い、なのか。

それは結局、生きて見ないと、わからない、ということだよね。

なので、期待して生きてみよう。

でも、いやだなーと思う組み合わせは、ありあまるほどの忍耐力を大盤振る舞いされる、というセットだよね。。。

そういう状況に置かれるのは、ちょっと御免蒙りたい。

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