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目で見て、耳で聞いて、その上で、祈りも必要、っていう話です。

夜、眠っていると、いろいろ夢を見るわけだけど。。。

たいていの夢って、起きて5分で忘れてしまうよね。

自分の場合、夢は総天然色。

その夢のなかに、いろんな形状のものが出て来る。。。

で、夢のなかに出て来る「かたち」を凝視していると。。。

だんだん意識が目覚めて来て、その、かたち、の正体が実は、えもんかけにつるしてあるコートだったりすることがある。。。

自分はたぶん、お釈迦さまみたいに半眼を開いて眠っていたのだろう。。。

だから、ベッドわきのコートが目に入って脳内で別の「かたち」に変換されて、夢に出て来た、ってことになるのかなー。。。

今日の聖書の言葉。

わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。 
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
詩編 32:8 新共同訳

ちゃんと見ているつもりでも、意識が目覚めて来ると、実はそれは、考えていたものと全然ちがう別ものだった、ってことがあると思う。

いやいや、意識が目覚めていても、錯覚ってことも、あるしねー。。。

子どもの頃、川遊びをしていて、ふと目をあげたら、向こう岸のアシのなかにラジコンのボートがひっかかっているのが見えた!

だれか忘れて行ったのかな、って思って、川を横切って近づいてみたら、ただのゴミだった。。。

っていうことがあって。。。考えてみれば、危なかったよね。川の深みに足を取られていたら、おぼれ死んでたんじゃないかと思う。。。

生きて行くために、目が覚めているだけでなく、錯覚に惑わされないだけでなく、ガイドしてくれる声に耳を傾けないといけないよなー、って思う。

全体を俯瞰して、ちゃーんとわかっているひとが、自分に的確にアドバイスしてくれたら、生きやすいよね。

そりゃ、そうだよ。。。

あー、あー、聞こえますか。キミが10メートル進んだ曲がり角の向こうに、犬の〇〇〇が落ちてるから、足元に気を付けて!

。。。みたいな(笑)

わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう
あなたの上に目を注ぎ
勧めを与えよう

ガルブレイスの不確実性の時代を超える「絶対的不確実性の時代」を生きるわれわれにとって、じゃあ、全体を俯瞰してぜんぶわかっているひとが簡単に見つかるか、って言うと。。。

それは、なかなか、むずかしい。。。

だけど、ひとりだけ、それができるひとが、いるんじゃないかと思う。

それが「神」だ。

永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知である「神」は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に赤ん坊となって降り立ってくれた。それがイエスで。。。

そのイエスを信じると、イエスは「聖霊」をとおして、信じる者のココロに住んでくれる。

だから、道に迷ったとき。。。人生に迷ったとき。。。あわてないで、自分のココロの上に手を置いて、祈るんだ。。。

ああ、神さま
よろしくおねがいします
海は、すっごく広いのに
おれの船は、ちっぽけだから

(漁師が海に出る前にささげた祈り。古代ケルト教会のゲール語の祈りから)

世界という海は、きょうも荒れているねー。。。

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