悩ませる支援 その1

 福祉には支援者・利用者を悩ませることがある。

 要するに「どこまで支援していいのだろうか」「どこまで支援してもらっていいのだろうか」ということである。
 もちろん、制度の範囲内というのは分かる。だけど「自立支援」と「個人情報」を考えた時に少し微妙なこともある。

「親族」からの要望

 関係者間で支援の方向性がある程度、決まってきたところで、これまで口出しをしてこなかった、というか連絡の取れなかった「本人の親族」が支援に関わってくることがある。

 そして、自分たちの負担が増えていくような方向になると、怒ってきたり、自分たちの有利な方向で話を進めようとする。別に金銭的な支援をしてくれ、と言っているわけではなく、本人にもしものことがあったときに連絡をしてもいいか、と言っているだけなのに、急に反発をする。支援をする関係者としては「もしものこと」がないようには支援をするが、そこまで頭が回っていないらしい。

 そして、関係者からは、親族からの反発や場違いなとんでもない要望に対して「なんで今、それを言うの?」と思ってしまう。

情報量の違い

 新規利用者の支援を開始しようとした時に、これまでの生活歴などの本人の情報をもとに支援をしようとするが…。

 これまで支援してくれていた関係者からの情報が少ない。

 情報がもともと少なかったのかもしれない。
 1人でなんでもされてきた方で、福祉サービスとは無縁の生活をしてきたからなのかもしれない。
 関係者が情報を出さなかったからかもしれない。

 こうなると、支援者や本人にかかる手間や負担が大きくなってしまう。本人と確認していけばいいのだけど、すべてを聞き取ることはできない。限られた関係者から聞き取った断片的な情報から『想像する』ことになってしまう。想像だから、的が外れているかもしれないし、「支援した」つもりになることもある。

「これはどういうことなのか?」

 計画を見ていくと「???」と思うことがある。計画自体はきちんとできていると思うのだけど、何かがおかしい。

 介護度、障害支援区分での使えるサービスが、本人のニーズと合っていないんだ。
 例えば、生活支援が必要なのに頻度や時間が少なかったり、時間を埋めるだけにサービスを入れていたり、することがある。

 また、ケアマネジャーさんが作成する支援計画とサービス事業所で作成する個別支援計画がちぐはぐしている。要するに、本人の課題と、長期目標・短期目標と、サービス内容の設定について違和感が生まれてしまうこともある。

「ちゃんとケアプランを見ているのだろうか」
「ケアプランを作る時に、サービス事業所と話し合っているのだろうか」

 本人もこの計画でサインしていることもあるから、強くは言えないことはあるけれど、利用者もしくはサービス事業所の言いなりで作っていることはないだろうか。

「どこまで支援していいのだろうか」
「どこまで支援してもらっていいのだろうか」

 「自立支援」ということを考えると、支援者がやりすぎはいけない。ただ、本人に危険な目に合わせるわけにはいかない、と思ってしまう。
ただ、支援者の意見である。

 利用者にとっても、言いたいことや、やってほしいことを言っていいのか、と迷っている。利用者自身も「自立支援」が分かっているつもりだから、あまり支援者に頼りすぎてはいけないと思っている。
ただ、利用者の意見である。

 この利用者と支援者の迷いや遠慮が、時には「自立」を踏みとどまってしまう原因にもなる。ただ、迷っていること自体が自立への過程かもしれない。
 そして、自立の手前をどう見極めるのかは、きちんとしたアセスメントだと思う。「ちょっと待って」を決めるのも利用者であり、支援者である。決められないとしたら、本人と共に悩み、最善の利益を考えていくことで自立につなげていく。

 

 悩みながら、生活していくのは当然のことである。より良い方向へと向かえるように悩んでいくことで、お互いに成長していく。

 ちょっと他に考えてみたいことがあるので「その2」に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?