映画『マイスモールランド』〜もっと真剣に為政者と国家権力について考えたい
*本記事は盛大に映画のネタバレをしています。
未見の方はご注意下さい。
世界に類を見ない厳しい難民政策ともいわれる入管法および今国会で成立された改正法、一部では稀代の悪法ともいわれている。
そうした国家システムに翻弄される難民家族、特に自分たちでは何の意思決定も出来ない子ども達が真に安らぎ幸せに暮らせる居場所を求める映画。
主人公は高校に通うサーリャ、サッちゃん。
クルド人の父親と妹、弟の家族4人で埼玉県川口市に住んでいる。
父親がクルドで自由を訴えたために拘束されそうになり、難民としてまだ幼い子どもたちと日本へ逃げてきた。
母親はクルドで亡くなっている。
サーリャ=サッちゃんは、クルド人であることを隠して「ドイツから来た」と友人達にも話している。
しかし、心の中では自分は日本人でいたいと思っているが、いつのまにか
”自分はドイツ人なのかも"とも思いつつある。
友人たちとワールドカップの観戦をしていた時に、
「どこを応援するの?」
と尋ねられて
「ドイツ」
と答えてしまった。
本当は日本を応援しているって言いたかった。
サーリャより幼くして日本へ逃れてきた妹や弟にとっても、幼い頃から暮らす日本以外は知らない外国だ。
しかし、父はあくまでも自分はクルド人、自分の子供達もクルド人であることにこだわっている。
近所に暮らす同胞のクルド人との付き合いを大事にする。
暮らし方、食事、マナー、全てがクルド人として子供にしつけようとしている。
サーリャにも将来は夫はクルド人を選んで欲しいと思っている。
ある日、夕食の時間に遅れるサーリャ。
食事は家族一緒にするというルールなので、家族が一人でも遅くなると皆で待っている。
そして、食事の前にはお祈りをする。
クルド人であることを娘にも求め、アイデンティティにこだわる父親。
「お前はどこにいてもクルド人だ」
「もういいでしょそんな事! 何の意味があるの?」
親と子の国に対する思いはどうしてもすれ違っていく。
荒川を渡って東京都内のコンビニでアルバイトをするサーリャ。
小学校の先生になりたくて、そのためにバイト代を貯めている。
ある日、お年寄りの女性がレジでサーリャに声をかける
サーリャは本当の国を言えずに
「ドイツ」
と答える。
女性に悪気は全くないのだろう、むしろ励まそうと思って声をかけたのだろう。
だけど、それはサーリャにとってやはりつらい言葉だった。
自分はいつまでも外国人なのだろうか。
自分の居場所はどこなのだろう。
クルド人式で行われた結婚式に出席するサーリャ。
楽しげな宴の輪に入れないサーリャ。
クルド人の慣習で、親戚は結婚式で手のひらを赤く塗る。
翌日バイト先で、その跡が残った赤い手のひらを見た同じ年の聡太に尋ねられる。
「トマトをたくさん食べたから」としか答えられないサーリャ。
しかし、やがて聡太とサーリャの仲は少しづつ近づいていく。
はじめて自分の出自について他人に話をするサーリャ。
「おれでよかったの?」
難民申請が通らず、滞在許可書が無常にも簡単に破棄される。
「今日で使えなくなります」
役所の担当者は仕事なのだろうが、どういう思いでいるんだろう?
もう麻痺しているのか。
滞在許可書が無効になったことで、特別申請によりこれまで通り居住を続けることは出来るが、仕事への従事や他県への勝手な移動は出来なくなる。
なに、それ?
何たる悪法。
橋ひとつで荒川を渡れば簡単に埼玉から東京へ行けるのに。
それも許されない。
ある日、父がいつもの通り産業廃棄物招集運搬車で待機しているときに、
警察官がやってきて職務質問をする。
不審に感じた警官。
「身分証明書を見せて」
入管に収監される父。
最悪の事態。
父からの収入が途絶え、子どもたちの暮らしは綱渡りになっていく。
支援をする弁護士が、
難民申請をもう一度すること
裁判をして、こちらの正当性を訴える
その2つを提案するが、父は国に帰ると言う
サーリャの大学の推薦もダメになった。
受験は出来てもビザがないと入学が出来ない。
教員免許を取れる大学への進学を望んでいるが、厳しそうだという教師。
悪気はないのだろうが、頑張れと声をかける。
教師も本音では難民家族の苦労は理解できないのだろう。
同級生に誘われてパパ活に付き合うサーリャ。
おじさんとカラオケ屋に行くだけで1人1万円
家賃は2ヶ月滞納していて、
出てってもらうしかないと大家から通告される。
しかし、もう家計はかつかつだ。
進学のために貯めていたバイト代を出すしかないのか。
思い余ってパパ活をやってみるサーリャ。
しかし、サーリャが自由にならないと男性から浴びせられたのは
「国へ帰れよ」
見た目が外国人だからと軽く見られてしまう。
入管施設での父との最後の面会の日。
弁護士から父が国へ帰ると決めた理由を聞くサーリャ
親がビザを諦めたため、その代わりに日本で育った子供にビザが出た家族の前例があることを知ったからだと。
しかし父はあくまでも、その事は言わない。
母さんがクルドで亡くなってたった一人で埋葬されている、
だから、帰ると決めたんだ、とサーリャに言う
家族との楽しかった想い出として、
一緒にラーメンを食べる仕草をする父とサーリャ。
ラーメンを食べる時に音をたてて麺を食べる子どもたちに、
音を立ててはいけいないと言っていた父。
日本人みたいに音を立てて食べていいよ、
クルド人としてではなく、自分の好きに生きろという意味だろうか。
親は、たとえそれが自分の思い通りでなくても、
本当は子供が幸せになって欲しいと思っている。
最後にクルド語で祈りを捧げる父
ラストシーン
洗面所で顔を洗っていたサーリャが、最後に父が自分に捧げてくれた祈りを言葉を唱える。
最後のフレーズ「光がありますように」は出てこない。
代わりに、鏡に写った自分の顔を睨みつける。
国の制度とはいえ、
本当に残酷な話だ。
難民として入国した親もそうだが、
サーリャ達、子供達は本当に何の罪もない。
切ない。
単に可哀相なんて言葉をかけてはいけない。
それでも、今回の改正法成立でさらに難民申請者にとって過酷な条件になっている。
これを機会に入管法の問題にもっと皆が知るきっかけになって欲しい。
この映画は声高に入管法と難民政策に異を唱えるような描かれた方はしていない。
それでも、当事者達の普通の暮らしが土台から崩れていく様を見せられることによって、我々にも問題の深さについて考えさせられる。
そして、これ以外にも日本で生まれ育った我々の生活を脅かす政策が今国会でもどんどん決定されていく。
それでも選挙に行かないのか?
何故あなたは自民党や公明党の政権与党に投票するのか?