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映画『空白』は身に覚えがないとは言わせないイタイ映画

吉田恵輔監督映画はイタイ。

チクチクと痛かったり、グサっと痛かったり、
ほんのり系と見せかけて、そうはすんなり終わらない。どこかでトゲのようなものが残る。

『空白』はとにかくイタイ、色んな意味で。

自分もあんなところがあるんじゃないか?そう思うとイタイ。

実は予告編を観て想像していたのとは違う方向に向かって行ったんだけど、途中まではキツかったなぁ。

視聴後一週間くらい寝かせてから書いているのだけど、感覚として残っているのはそういう感じ。

自分の気持ちをはっきりと表に出して表現出来ない人たち。
控えめな性格という言い方もできるけれど、きっとそうじゃない。
彼らは他人に世界に絶望しているから、期待を持っていないから、何を言ったところで何も変わらないだろう、そう思っている。

不慮の交通事故で命を落とした女子中学生の添田花音、
そして彼女を万引で咎めようと追いかけたことで結果的に死に至らしめてしまったスーパー店長の青柳直人の2人がそうだ。

一方で、自分の主張を声高に表することに何の躊躇いもない人たちがいる。
彼らは相手が誰でも思った事を簡単に口に出して言う。
それが正しいと信じているから。自分の中の正義に少しも疑問も持たずに生きてきた。
そして、これまで上手くやってこられたから。
ただし、本人がそう思っているだけであって、実際は周りの人間がそれを許容し、もしくは諦めた人たちが何も言い返さなかっただけだから。

一人娘を事故死で突然亡くした漁師の添田充、そして青柳のスーパーで働き青柳に好意を持っている中年の草加部麻子。
彼らは自分に正直な人たちだ。

少しデフォルメされているようで、こんな人たちはリアルにあちこちにいる。

僕は自分がどちらかというと後者の人間だと自覚している。
長年の社会人生活で学んだ社会性で本心を隠しているが、自分の意見は口に出して言うべきだと思っている人間だ。

だから余計にイタイ。
古田新太が演じる父親添田充を見ていて、あそこまでではなくても、極限状態に置かれたらあそこまで行ってしまうんではないかと恐怖する。

物言わぬ人間は自分の意見を持たない、他人に流されるだけで、自分の意見をいつでも表明する自分たちこそが思慮深く、正義だと思っている。

物言わぬ人たちが、実はもっと思慮深く周囲を観察していて、その結果物言わぬ事を選択している、争いを避けるのが得策だと理解している、
本人は場合によってはそう意識していなくても、
そんなことはつゆとも考えたことがない。

言いたいことがあれば言いなさいよ、
そんな風に他人に構われることがしんどい、
いいからそっとしておいてくれ、
それが理解できない。

この物語はそれぞれが極端にエスカレートしていき、取り返しのつかない対立になる、そんな事は描かない。
もちろん、途中までは父親充はドン引きするくらいにエスカレートしているのだけど。
韓国映画だともっと悲惨な結末になるだろう、そんな設定だけどこの映画はそうではない。

吉田恵輔監督は悲劇では物語を終わらせない。

意外にも充は変わろうとする。
ある出来事をきっかけに娘の死を本当に受け入れ、生前の彼女に思いを馳せ理解しようとする。
真の意味で他人を受け入れようとした瞬間だ。

悲劇は悲劇のままなのだけど、
せめて生きている人間たちだけは、仄かな光を灯して生き続けていけるように、そんな結末を用意している。

良い意味で期待を裏切られた映画だった。

〈了〉


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