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海は非日常だから、色んな思い出の海たちがある

noteを開くと「作品募集中」の応募が来ていた。
「わたしと海」

わたしと海かぁ。。

海は僕にとっては非日常。
現在「海なし県」に居を構えているからというのはもちろんだけど、
やはり海は「いつもそこにある」ものではなかった。
だから「海」には思い出がたくさんつまっている。

***

大阪に南港というエリアがある。
今は色んな施設があるようだけど、1980年代は電車が開通したけれど、まだショッピングセンターなどもほとんどなく、普段遊びに行く場所ではなかった。
その南港で1986年の8月「'86 SUPER JAM」という野外コンサートがあり、大学の友人たちと観に行った。
広場に設置された観客エリアには椅子もなく、それぞれが持参したビニールシートに自由に座って観るというゆるい感じ。
観客エリアからステージを見ると、一段高くなったステージのさらにその向こうにキラキラ光る海が見えている。
ゼルダ、世良公則、久保田利伸、バービーボーイズ、米米CLUB、爆風スランプ、etc
当時若手から売れっ子まで、日本のロック第一線のラインナップ。

海にかかる夕日を背にステージ後方に3人の立ち姿が現れた。
PINK CLOUDだ。
格好いい!!カリスマ !
あの時の3人のシルエットは今でも目に焼き付いている。

すっかり陽も暮れて照明が眩しい。
トリはRCサクセション。
油が乗り切っていた時代。
スローバラードで泣いた。
トランジスタ・ラジオで一緒に歌った。
忌野清志郎さんの全盛期のステージを観れてよかった。

***

はじめての海外旅行はサイパンだった。
入社して2年目の社員旅行で連れて行ってもらった。
同期のO君と同室で、
入社したばっかりで海外に行けるなんていい会社に入ったな!
と最高潮に盛り上がっていた。
宿泊先はPICグアム。
到着当日は夜遅く、時差ボケもあってすぐに眠った。
翌朝、カーテンを開けると目の前にサイパンの青い海がキラキラ光り輝いていた。
「すげー!!」
O君が起きぬけに叫んだ一言が耳に残っている。

翌日からは、PICで色んなアトラクションが用意されているので、好きなものを申し込んで体験出来る。
僕は始めてのスキューバダイビング体験クラスに申し込んだ。
プール講習をしっかりやって、昼食後ボートで沖合まで出る。
ボートからロープを伝って海の底まで降りて行く。
途中、一瞬「あ、これって息が出来ないんだ」とパニックになりかけたが、
その様子を察知したインストラクターのお兄さんの「ゆっくり深呼吸」の合図で、なんとか持ち直した。
そこからはもう大丈夫。
海底をタンクを背負って歩く。どこまでも透明な青い海に潜ってその美しさには本当に感動した。

ずっと屋外で油断していたので、帰りの機内では日焼けが全身火傷のようになって寒気がするほどだった。
帰宅してからしばらくは寝込んでしまったくらいだけど、それも今となってはよい思い出。

***

子供が2人出来て、家族4人で沖縄旅行に行った。
那覇空港からレンタカーで小一時間。
宿泊先は地元資本の「かねひで喜瀬ビーチパレスホテル」さん。
今でも営業されているみたいだ。
目の前がビーチの素晴らしいロケーション。
あいにく波が高く、子供達も小さかったので海には少し足を浸したくらいで、屋内プールでの水遊びになったけれど。
美ら海水族館に出かけた日はとても晴れて、水族館日和だった。
残念ながら、当時年少さんだった次男は「全く覚えてねー」と言ってる。
まぁ、そんなもんだ。
でも、両親はしっかり覚えているよ。

***

そういえば、海が日常に近い頃もあった。
30代前半、北鎌倉に5年くらい暮らしたことがある。
横須賀線路沿いから建長寺と鶴岡八幡宮を右手に見て、三の鳥居前から
右折して段葛の側道からまっすぐ二の鳥居、鎌倉駅を右手に見て、さらに行くと一の鳥居、そして由比ヶ浜の海へと続く。
休みの日は、由比ヶ浜から自転車で藤沢へ行くのがルーティンだった。
坂の下、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前を通り過ぎて片瀬海岸へ。
あとは右折して北上すると藤沢駅へ着く。
藤沢駅でCDショップ、本屋を巡って、帰りは東海道本線に沿って大船まで帰る。
湘南鎌倉の海には若い頃のせつない思い出が少しだけ詰まっている。
だからなのか、この頃の海の思い出は記憶の底に封印されていることが多い。
今の家族と住んでいたらもっと素敵な思い出が作れたのかなと思う時。

***

まだまだ、海にまつわる思い出はつきない。
日常の一コマもいいけれど、非日常だからその一瞬はキラキラとして輝いている。

<了>

#わたしと海

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