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雑記事19

今日も38℃まで上がるらしい、ベルリンに着くのは18時くらいなのだがその時間のベルリンは37℃。熱波がヨーロッパに来ているのは本当だ。
今日はカッセル最終日でベルリンに帰るのだが、5年に一度の祭典ということもあり名残り惜しい気もする。この心理をつかれて、ついTシャツなどを買ってしまうのは見逃してほしい。DOCUMENTA 15 については一度整理してからゆっくりと話していこうと思う。もし興味がある方がいたらこちらの記事を読んでほしい。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/25706
今回はインドネシアのルアンルパがアジア人で初めて芸術監督として招聘されたということもあり、今までとは違ったものになると言われていた。らしい。
というのも今までのものを見たことがないので、らしい、となってしまう。
ただそれでも、展示されているものが普通の芸術祭とは全く異なるであろうということはわかる。ドイツ、もしくはヨーロッパにいる芸術に携わる方々にはぜひ味わってほしい。次は紛れもなく5年後なのだ。
自分としては今後の世界の構造についてまで考えさせられる体験であった。
徐々に色々記していこうとは思うが、展示物をみるというよりは、総合的に身を委ねて体験するというのに近い。
昨日、夜食べに行ったエチオピア料理のレストランの隣の席に座っている三人組もこのフェスティバルに遊びにきたらしいのだが、コンテンポラリーアートは理解できないと店員に伝えていた。
ただ一つ言えるのは、そもそも芸術というものは理解のために存在しているのではない。むしろ理解の範疇を超えた事象を表現するものこそが芸術であると思う。
見えている世界を再構築できるのも芸術家の特権である。
極論、空が真っ赤でも良いのだ。
そこに対して空が赤いのはおかしいと唱えるのが頭で理解をしようとする行為であり、その理論に乗るとピカソの有名なキュピズムの作品群などは全て世に存在しないのでおかしいとなってしまう。
ピカソだからオッケーと言うのであれば、なんでも良いのだ。
つまり自分にとって芸術とは体験である。作家に対しての追体験まで辿り着く(もしくはそう感じれれば)、それこそが理想である。
さて、今日はこれからお土産を買いに行くとしよう。
ちなみに写真は自分たちが宿泊している宿から見える景色で、この景色を見ながらこの日記を書いているのは言うまでもない。つまりこの瞬間に見えているものはこの絵であり、これをみなさまに共有することにしようと思う。

10:11  20.Jul.  2022   Kassel

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