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働く発達障害者が社会を生き残るためのコツ

1.当事者活動

まず、社会で生きていくにあたり決して無理しないで下さい。例えば、会社に入社した時、最初から全力で、人間的・技術的に器用であることを強く求める会社は一般雇用・障害者雇用問わず、あなたをいずれ食いつぶす危ない会社です。逃げましょう。

ただし、危険から逃げるだけでなく、社会で生きる発達障害者は自分の障害特性、自分の限界、仕事の中でできる工夫、社会福祉制度を知る、理解者となる人を探すなど、「当事者活動」をする必要があると私は考えています。

「当事者活動」という言葉を、私流にいえば「発達障害者が、周囲との交流を通し、自分が自分の専門家になっていくためのプロセス」です。そして、その最終目的は「うまく周囲と距離を取りつつ、人や物、制度の力を借りながら自己決定し、(都合)よく生きる」です。

2.他立的自律

少々話が逸れますが、私が大学院で心理学を学んでいた頃、恩師は「障害のある当事者が自己決定し、周囲の力を借りながら実行していくこと」を「他立的自律」という言葉でご説明なさっていました。

この「他立的自律」という言葉は、当事者として生きる私にとってとても大切な言葉です。「障害があるとわかっていながら、やせ我慢して自分で決めて自分だけの力でやり通す」という苦しい生き方に囚われなくてもよい、という、私にとっての「解放の言葉」となっています。

福祉職や教職などの支援の専門家、特に就労に関する領域には

「障害がある以上、健常者の倍努力しなければ周りの足を引っ張ってしまう。絶えず努力できて人に頼らず、自立心をもって、社会の荒波の戦えるよう育てなければいけない」

というような趣旨の発言をする方がいます。

誰しもそうだとは思いますが、何も望んで障害者として生まれてきたわけではありません。偶然、今の社会と嚙み合わない障害(性)をもって生まれてきただけで、人一倍の努力を他の誰かに強制される必要があるのでしょうか。そうではないはずだと思います。

健常者だって時には人を頼っているのに、なぜ障害者は人に頼ってはダメなのでしょうか。

自分だけで頑張らなくちゃ!と思った時に恩師の言葉を聞くと、遠いところからだけど「人に頼ってもいいんだぞ!」と、肩の荷を下ろしてくれるような気がします。

と、いうわけで実行部分は人に頼ってもいいので、自分の人生は自分で決めましょう!

(裏を返すと、「頼らせてくれるけど全てあなたのことを決めてしまう人」の傍には居続けてはダメです。もちろん、頼らせてくれるどころか、お金や労働力などを収奪した上であなたのことを全部決める人など論外です)

3.「申請主義」からの自衛と同盟

話を戻して、最初に説明した当事者活動の例として、「発達障害の診断を受けにいく」ということがあります。これは単に「診断をもらう」というの意味にとどまらず「困った時に頼れる人(医師やソーシャルワーカー、信頼における人)を見つける」「自分は障害者としてどんな自分であるかを知る」「診断書を作ってもらい、社会福祉制度という力を借りるための根拠を作る」という様々な意味があります。

なぜ当事者活動する必要があるのかというと、日本の社会福祉制度の特徴として「申請主義」があります。これは、当事者が何らかの根拠や制度の知識をもって、自分から「困っている」と公の機関に申し出ない限り支援が得られない、ということです。

例えば市役所などで困っていることを伝えたものの、制度を知らなかったがために「申請」ではなく「相談」扱いにされてしまい、ケムにまかれて帰されてしまい、制度利用まで行きつかないというパターンはあります。

そのため、当事者は早めに自衛する(診断を受け、特性上の苦手を知り、カバーする方法を考える、社会福祉制度を使う足掛かりを作るなど)、同盟する(信頼における医師やソーシャルワーカー、社会福祉施設とつながるなど)意識を高めていく必要があります。

以下のリンクは、私が当事者活動をしてきた具体的なプロセスです。


4.働くことから「逃げた」責任との戦い方

本来、先天的に障害をもって生まれたあなたには全く罪はなく、その特性に対して無理解な周囲が悪いことには間違いはありません。

ただし、社会人としてあなたが「働く」ことを選んだ(実際は選ばされたという具合ですが)以上、発達障害の特性に伴う職場不適応を起こして転職を繰り返した場合、企業はあなたを「逃げ癖のある人」と判断し、採用を敬遠するかもしれません。もちろん、逃げるべき状況で逃げず、自死に至るまで頑張り続けることは当然推奨できません。

あなたが生き延びるためのたった一つの手段が「逃げること」だったとしても、(不条理なことに)周囲はあなたが「逃げた」と判断し、あなたに非があると思われることが多くあります。

そうであるならば「これは戦略的後退であり、一転攻勢に出るための準備である」ということを企業などが理解できる形で証明する必要があります。

例えば、就労移行支援施設を利用する、ハロートレーニングを受講する、市町村の相談機関を利用するなど、就職に向けての準備活動をしていたことをアピールすることです。

これに関し、厳しく言えば「周囲からは見えない努力は(客観的に証明できなかったり、自分を含め誰も証言していないなど)、努力していないと誤解される」ということになります。支援制度や施設を使うなど、客観的に記録が残るような努力が推奨されます。

特性などの問題から、その企業からは撤退せざるを得なかったが、就労訓練などを通して失敗の分析を行い、自身の欠点をカバーできるようになったので、また挑戦したい」と根拠をもって言えるようになれば、「逃げの責任」は「戦略の証明」となります。

例えその時は逃げのつもりであっても、後でそれは戦略だったと言えば、それは逃げではなくなり責任も何もなくなります。逃げた逃げたと思わず、都合よく「戦略」と言ってしまいましょう。戦ってないじゃんと思われるかもしれませんが、恐らく気のせいです。

まとめ

・「自分専門家」になりましょう。
・人に頼りながら、自分の人生自分で決めましょう。
・あなたは「申請主義」社会で生きていると気づきましょう。自分を守る手段を知りましょう。
・逃げちゃったもいいです。あとで「これは戦略だ!」と言っちゃいましょう。



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