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私が発達障害とわかり、そして障害告知し、手帳を取るまで

この文章は私が過去に教育機関誌に投稿した成人発達障害当事者の体験記の追記、改訂版です。主に健常者(教育関係者)の方に向けて書いたものです。

1. 私の障害特性と学んできたこと


私は、社会福祉施設に介護職員として勤めているmakoto5910と言います。社会人3年目に担当医から「広汎性発達障害」の診断を頂きました。私の特性・特徴として、「臨機応変な行動を苦手としている」「一つの物事に熱中しやすく、他の物事が目に入りにくくなる」「自分の態度や言葉が相手にどう伝わるか理解できないまま、率直な態度や言葉を出してしまうことがある」「『身体で覚える』ような業務や技術を身に着けるのに時間がかかる」といったものがあります。


私は、小中学校では突飛な行動や発言からいじめやからかいを受け、大学時代は環境の変化や気疲れなどから鬱状態になってしまい自宅から出られなくなってしまうこともありました。

私は幼少期から人間関係や環境適応で課題を抱えていましたが、その一方「好きなことを勉強すると、とことんのめりこむ」タイプであり、大学4年間で4種類の教員免許を取得し、大学院にも進学しました。自分の好きなことを追求する中で、先生や友人にも恵まれ、多くのつながりができました。また、教職課程の授業の補助役を務めていたこともありました。受講生のコメント用紙を読み、それについてまとめて、コメントをつけて返すといった業務を行っていました。文章を読んでその内容について話すことが好きな私にとって幸せな時間でした。(ケンカになることや毒親じみだ時期はありましたが)のめりこむ気持ちを育ててくれた両親、そして私の好きなことを認めて下さった先生方や友人については、今でも感謝しています。

また、大学在学中「応用行動分析学」という心理学の一分野に出会ったことがその後の人生に大きな影響を与えたと考えています。「応用行動分析学」は、アメリカの心理学者B.F.スキナーが創始した、「観察可能な行動と環境との相互作用」から人の心を理解する心理学の一分野です。「応用行動分析学」をよりかみ砕いて説明すると、人が行動を起こす前には何らかのきっかけがあり、その行動をした直後、その人にとって何か「よい」ことがあれば、その行動が増加または維持され、逆に「悪い」ことがあったら行動は減少する、という形で人の行動を理解します(実践で行う場合、適切なきっかけを用意し、行動の後よい結果が生じるように環境を構成することが通例となっています)。行動の原因を障害や性格などに求めず、きっかけや行動直後の状況を参考に、対象の人の周囲にある環境を変えていくことでその人の行動を変えられる、という考え方をしています。そのため、私は「今私は~という行動ができないけど、こうやって環境を変えたらできるようになる」と考えることができます。これまでの人生経験に依るものも大きいと思いますが、今も「障害」や「できないこと」によって悲観的にならず、前向きに生きていられるのは、この学問に依る部分が大きいと感じています。

2. 私の生き方に大きな影響を与えた大学時代の恩師

私は数多くの恩師の方々にお世話になってきましたが、私の人生に大きな影響を与えた先生がいらっしゃいます。私の大学・大学院時代のゼミ指導教官でいらしたA先生です。A先生は障害者支援についての研究を長年行ってきた方で、私が精神的に落ち込んでいるときにオフィスアワーを割いて相談に乗って下さるなど多くの支援を下さいました。そして、私の特徴をよくつかんで下さり「makoto君、もしかすると君は・・・」と発達障害の可能性を指摘して下さりました。これが、後述する社会人になった後の発達検査受診につながります。


A先生との交流の中で、先生が繰り返し教えて下さった言葉があります。「健常者・障害者問わず、人は皆周囲の物や人の助けを受けながら行動を生起・維持している。『自分が自立している』という認識は、ある意味自分を助けている周囲の環境について理解できていない、とも言える」という言葉です。そこから、私は障害者支援について「健常者も障害者も、周囲の人や物を頼って生きている。それゆえ、障害者が周囲の人や物に頼ることについて過剰なうしろめたさを感じる必要ない」という理解を深めることができました。加えて、「自分はバリバリやれてる」と思った時「どこかで、自分のことを支えてくれた、いる人や物の存在を忘れていないか」と自己反省的に物事を捉えられるようになりました。

※大変残念なことに、2021年末に恩師A先生がご逝去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

3. 発達検査受診と障害告知


大学院修了後、前述の社会福祉施設に入社しました。入社後、しばらくして大学時代にはそこまで意識していなかった人間関係上の問題、例えば目上の人に対して、明らかに無礼な口調で話してしまうなどの問題が浮上してきました。また、スケジュールを覚えていくと同時に、利用者さんの個々の動きに応じて対応を変えていく臨機応変さを求められるなどで苦戦しました。
幸い、初年度の上司が私の行動の特徴を捉えて下さり、マニュアルの改良などでして下さり、なんとか乗り越えることができました。社会人2年目の春、A先生の言葉を思い出し、発達検査を受けてみよう、という気持ちが芽生えました。自分の特性について理解できれば、対策が立てられるのではないかと考え、受診を決意しました。


社会人2年目の夏から3年目の春ぐらいまでの半年ほどの時間をかけて、発達検査を受けました。そして、3年目の夏前に「広汎性発達障害」の診断を頂きました。教職課程の授業の補助役を務めていた時も、担当の先生のご都合や時間、受講生との距離感を気にせず話してしまったことがあり、もともとその傾向をぼんやり感じていたのが、この時、はっきりと形になりました。検査をして下さった担当医は、図形処理や情報処理はかなり苦手だが、言語能力は高いとおっしゃっていました。このことについて、短時間に何十人分の受講生のコメントを読み、私が返信コメントを一気に書いて担当の先生を驚かせたことがありました。それも私の特性だと思います。

この機を境に、私は「発達障害の当事者にして支援者」という立場になりました。これにより「自分は誰かに支えられて生きている。そして別の人を支えている」ということを強く自覚できるようになりました。支援者と被支援者の立場を両方とも体験できることができるようになったという意味で、支援者としてはこれでよかったと思っています。
   

しかし、この後悩ましい時期がやってきました。「障害を他の人に伝える」という時期です。実際に周囲から助けを得るためには、ある程度こちらの事情を伝える必要があります。しかし、障害告知が人間関係の崩壊や職場での退職勧告につながってしまうケースもあり、事態によっては退職を覚悟しなければならない、と私は感じていました。私は、まず信頼できる人に伝えようと思い、入社時より仕事や人間関係等多くのことで相談に乗って下さったB・C・Dさんを選び、障害のことを告知しました。幸いにも、3人の方々は「よく言ってくれた」と私の障害のことを理解してくれました。

ひとまず安心した後、しばらくして会社に伝えることを考えました。理由は、施設の方針上ユニットの配置転換が数年おきにあり、このまま配置転換を受けると、せっかく覚えた業務の覚えた内容がリセットされてしまうと考えたからです。また、特性上新しいことを身に着けるのに時間がかかるだろうと考えました。そのため、配置転換を遅らせて頂くために会社にこのことを伝える必要があると考えたからです。  

伝え方やアポイントメントの取り方については、3人の方々からアドバイスを頂きました。「この言い方だと~と誤解される可能性があるからこのような言い方がいい」など私の視点だけでは気づかないことをたくさん教えて頂きました。中でもCさんは私のことを心配して下さり、「makotoが障害告知してかえって差別されたらどうしよう」と泣いてまで会社に伝える直前まで心配して下さいました。こうした3人の方々との交流の末に、伝えることを決意し、幹部の方々に診断のことを伝えました。結果として、幹部の方々にもご理解を頂けました。そして、配置転換を一時的に停止して頂くことができました。また、「ここまで来るのにたくさん悩まれたでしょう。よく伝えて下さった」と暖かい言葉を幹部の方々から頂きました。


これまでも、大学の教職科目等を通して多くの自己開示を行ってきましたが、これほどまでに苦しく、悩ましい自己開示はなかったと思います。傍から見ると、単なる情報伝達にしか見えないかもしれません。しかし、自分の障がいを周囲に告白するためには、周囲から支援を頂いた上で、こうした多くの葛藤や不安を経なければならない、ということについてご理解頂ければと思います。

また、私はB・C・Dさんのような信頼できる人によって言い尽くせないほど救われました。やや時間をおいて、信頼できる他の同僚やユニットの先輩方にも伝え、理解して頂きました。こうした人がいるかいないかで、発達障害の当事者の人格形成に大きな違いが出てくると思います。当事者は、自分の世界に入り込みやすい傾向が多かれ少なかれありますが、こうした人間関係や周囲の雰囲気について決して無関心ではありません。むしろ自分の気持ちや不安の伝え方がわからず、不器用な行動をとってしまいます。決して困らせようとしてやっているのではなく、自分の気持ちの伝え方がわからない、上手くいかない、あるいは伝えても理解してもらえなかったからこそやってしまうものであるとご理解頂ければと思います。その不器用さを超えてつながってくれる人は、当事者にとって本当に救いになります。

補足として、障害を告知するにあたり、私が気を付けていることがあります。それは「障害があるから何でも配慮してもらえる、許してもらえる」とこちらが思っているように会社側に認識されないようにすることです。突然障害を告知される会社側にとってはとても驚くべき事態だと思います(そして、私は職場不適応的な側面を会社側に散々見せてしまったので)。それゆえに、障害告知を「仕事ができない言い訳」と「誤解」される可能性が高かったと思います。

これを防ぐにあたり、

①障害告知を文章の形式にし、診断書と共に会社側に渡すことで、当事者側(私)と私の間になるべく認識のすれ違いが起きないようにしました。
②告知はまず担当部署のトップに行いました。その後順々に上役に告知しました。私は現在の部署に残りたいという意思があったため、担当部署のトップをとばして施設トップに伝えると、担当部署トップから「私はそこまで信用されてなかったのか?」という誤解が生じて、人間関係上の問題が生じる可能性があったためその点に配慮しました。
③困っている点において、いきなり配慮を求めず、「私が~という業務や日常の行為についてこれまで~という形で努力してきましたが、この点において改善が難しく感じています。(実際に検査項目や医師のコメントにもその傾向が生じているおり)そのため今後改善に向けてこのことについて相談させて頂きたいです」と伝えました。「相談」という形式にしてワンクッションおき、その中で「具体的に会社側としてどのように動けばいいか?」と会社側に尋ねられた際に配慮について具体的に伝えました。
④配慮について尋ねられた際、自分が働きたい雇用形態や部署についても合わせて伝える。

※個人に価値観に基づくものなので、全ての当時者の方にこれをお勧めできるというわけではないのでご承知おき下さい。


4.障害者手帳取得

私は告知から1年半ほどが経過してから、障害者手帳(精神障害者福祉手帳:3級)を取得しました。手帳については、失業手当の給付期間延長、住民税等の減額、障害者雇用に移行する事態が発生した際の準備など将来のリスクを見越しての取得でした。今大きなアクシデントはないものの障害と勤務環境がかみ合わなくなった場合二次障害に発展する可能性があり、そうしたリスクに備えることが必要であると感じたため、取得しました。しかし、障害者手帳は生命保険などの入りにくくなるなどのデメリットも存在するため、全ての発達障害者は手帳を取るべきと安易にお勧めすることはしません。メリットとデメリットを踏まえて各当事者の必要性に応じて取るか取らないかを考えるべきと考えています。

診断をしてくれた病院の担当医をもう一度尋ね、障害者手帳申請用の診断書の作成を依頼しました。手帳申請の重要なポイントは診断名ではなく「実生活の中でどれだけ困っているか」ということを医師及び行政に理解してもらうことです。なので会社への告知と同様に行き違いが生じないよう困っていることを正確に伝える必要があります。私は、今困っていることを全て文章にして担当医に渡し、それを基に診断書を作成して頂きました。その診断書など必要書類をもって市役所を訪ね、申請を行い2か月後に手帳が交付されました。

告知をここまで何度か乗り越えたせいもあったか、手帳をもらった感想としては、診断書がより具体的な形になってやってきた、くらいの印象でした。思っているほどショックは受けませんでした。

5. 当事者なりの前向きな生き方


最後に、私なりの前向きな生き方についてお話します。
「一つの物事に熱中しやすく、他の物事が目に入りにくくなる」という私の特性を冒頭で紹介しました。業務が次から次へと出てくる私の職場で、この特性はやっかいで、一つの業務を終えることに集中してしまい、それが終わると次にやるべきことを忘れてしまいます。こうした失敗を入社したての頃はよく起こし、自信を失っていました。


この特性への対策として、私は付箋や携帯電話のカレンダー・メモ機能をよく使ってきました。具体的には、付箋に業務内容と締め切りを書いて、仕事用のパソコンに張り付ける、業務をカレンダーに入力してやるべき時にアラームが鳴るよう設定する、などです。とにかく、行動を出させるための「きっかけ」を自分の周囲に設置します。私は、そうしたきっかけの設置より、業務の抜けを減らすことができました。こうした成功体験を繰り返していく中で、私は自分に対する自信をつけられました。


 次に、私は、発達障がいのある当事者が集まるコミュニティバーに時折通っています。詳しくは、「発達障害バー」から考える私にできること、をご覧ください。https://note.com/makoto5910/n/n6c2818c400d1

 一定のルールの下、当事者同士で飲み物や食べ物を飲みかわしながら自由に話し合うことができるシステムを取っており、これまで多くの発達障がいの当事者の方々とお会いし、生活の悩みなどについて話をしてきました。
同じ当事者とはいえど、見知らぬ人に自分の悩みについて話すということに抵抗感を覚えることはあります。しかし、話していく中で徐々にお互いの悩みに共感を覚え、話してよかったという気持ちになります。そして「自分と同じような人が世の中にはたくさんいる」という安心感が生まれます。私は、こうした「自分の内面を出せる、安心できる」場所に定期的に行くことにより、精神的にも安心できていると思います。

毎日大変なことはありますが、こうしたことや、信頼できる方の存在で私は前向きに生きていられると思います。


 発達障害者支援に関する業務を行っている方々、近しい人に発達障害者がいる方へ


私は、仕事をする上で、人より手間暇が必要です。おまけに忘れん坊です。しかし、生活上の工夫、安心できる場所、信頼できる人がいれば、前向きに生きていけます(もちろん生活を維持する収入は必要ですが)。それ次第で日常の行動や行動も変化していきます。周囲に私のような方がいましたら、本人の価値観や現状を頭ごなしに否定することなく、本人の困り感、本人が今できること、したいこと、安心できる場所、信頼できる人に目を向けて下さ下さい。(当事者の中には他者からの指摘を拒む方もおり、難しさもあるとは思います。そこは「相談」「世間話」の形でワンクッションおく必要があるかなと思います。)きっとそこに、その人が前向きに生きていけるための環境作りのヒントがあると思います。

また、実際に支援しよう、なんとかしたいと思った時、決して一人で抱え込まないでください。自分の人生ですらとても重いものですし、人一人の人生を丸ごと抱え込んだら誰でも潰れてしまいます。重く、苦しいと感じる時は、心理的や物理的に適度に距離を取ったり、福祉関係者や支援者コミュニティ、当事者家族コミュニティなどを頼って下さい。

当事者にとって近しい位置にいるあなたは、あなたが思っている以上に貴重な存在です。しかし、常にあなただけが当事者の人生と向かい合わなければいけない必然性はありません。

↓おまけ

https://www.youtube.com/watch?v=NRoWi74jFhA



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