「生きるのが怖い」なんて思いたくなかった。
やっほー、お久しぶりです。ミルクだよ。
最近noteを更新しなかったけど戻ってきたよ。noteを書かなかった間は私なりに他事して暮らしていたよ。具体的に言うと筋トレとかエクセルやプログラミングの勉強とかしていたよ。
んで今日はなんと、とある会社の社長と面談したよ。実は私無職なんです。それで仕事を探していて、社長と面談することになったの。
私は統合失調症を患っていて普通の人とはちょっと違うから、面談の内容も経歴よりも病気についてがメインだったけど、とりあえず職場体験してみたらって話に落ち着いたよ。
それで今帰宅して働くことについて悩んでいる。本当はただ働くことに不安があっただけなんだけど、それから人生について悩んでしまったよ。生きるのが怖いってやつ。
この手の話は何回目だよ、って私のnoteをよく読んでる方は思うかもしれない。そう毎度おなじみのネガティブ自分語りnoteなのね、今回も。ただグタグタと悲しいことを書いていくだけだから嫌な人はここでブラウザを閉じてもらってオッケーだよ。
話を先にまとめると、せっかく優しい両親のもと生まれたのに、障害者になってしまい、生きるのが怖いなんて思うような人生を送るはめになってしまったことに申し訳なさと絶望を感じているって話になるよ。んでそれだけだとただの悲しい話になるだけだから、私なりのライフハックというか生き方も伝えられたらいいなと思っているよ。
母親に言われた「生きてるだけでいいから」
私は統合失調症患者であり、無職の26歳の男である。ここ1年は就労移行支援事業所という障害者の就職をサポートしたり訓練したりする施設に通っているよ。事業所について詳しくはググってほしいな。私は病気になる前はそんな施設があるなんて1ミリも知らなかった。でも今はそういうところに通っている。
んで1年間もそこで何してるのって言われると何も言えない。ただ訓練をしている。もちろんお金はもらえない。そんなことしてるなら早く働けって?私もそう思う。でもことは上手く進まない。コロナで求人は減っているし、もともと精神障害者は身体障害者と比べて採用されにくいし。なんだかんだで無職のまま、事業所に1年以上通うことになった。
そんな状態を家族は不安に思うのは当然である。とくに祖母がそうだった。祖母は私を引きこもりだと思っている。一応事業所に通っていると説明しても不安な気持ちを持っている。そしてその不安が私の母に飛んでくる。私の母あてに祖母が電話をしたらしいのだ。どうなっているんだと。
祖母の電話が終わると母は私のもとに来た。そしておばあちゃんが心配していると話した時に、ふと母は「私は生きているだけでいいと思っている」と口にした。
私はその言葉を聞いた時に「なんて優しい母親なんだ」とは思わなかった。その言葉を聞いてから今日までずっと何かモヤモヤしていた。
「こんな自分が生まれてきてごめんなさい」
母親の言葉を聞いた時から今日まで、ずっとモヤモヤしている理由が分かった。「こんな自分が生まれてきてごめんなさい」って強く思ったからだ。
「こんな自分が生まれてきてごめんなさい」
この言葉を書いているだけで涙があふれてくる。幸い母親にはこの言葉を口にすることは無かった。たぶん口にしたら母親はひどく悲しむことが分かっていた。だから口にしなかった。
「生きるのが怖い」って毎日思いながら生きるってことは、この世界に産まれて生きることを肯定していないってこと。その気持ちが「生きたくない」「なんで自分なんか産んだんだ」「生きててごめんなさい」ってネガティブな言葉に変換される。私の頭の中はこれらの言葉であふれかえっている。
いつからだろう。私がこんなに生きるのを否定し始めたのは。
なぜ生きるのが怖いのか
それは私が無能だからである。生きるための術を身につけられないからである。私には生きる能力が無い。だから生きるのが怖いのである。
そう書いてもピンとこない人のために、もっと詳しく書く。
私は大学院卒だ。しかもそれなりに偏差値の高い大学・大学院を卒業した。高校も県を代表する進学校を卒業した。そう話すと誰もが私を優秀だと思う。今日話した社長もそうだ。みんな私のことを頭がいい人だと思う。
確かに私は頭が良かった。大学3年生までは。大学生の時に発症した統合失調症が酷くなるにつれて、私の頭の能力は低下していった。
記憶力はない。勉強してもすぐ忘れる。常識が身につかない。頭の中は真っ白で考えることができない。人の話を理解することができない。挙げればきりがない。私は無能なのだ。
記憶力も思考力も理解力もない私は新卒で入った会社を1週間で辞めた。体調が良くなかったし、そして何より無能がばれるのが怖かったから辞めた。私はそのころには物事の判断も冷静にできなくなっていた。だから自殺未遂もした。生きるのが怖い、ただそれだけの理由で。
最悪ナマポ(生活保護)でもいいと心に保険をかける
そんなこんなで、「生きるのが怖い」「生まれてきてごめんなさい」とひどく落ち込んでいた私だったが、すこし気持ちが落ち着いてきた。
気晴らしにネットを見る。私と同じように無能で悩む人は多くいる。みんな毎日悩んでんだ。死にたいって思ってるんだ。でも生きている。なぜ人は生きるのかなんて哲学チックなことは今は考えたくない。とりあえず仲間がいることは私の心を落ち着かせる。
これからどうしようか。とりあえずネットを見ても答えはない。それでもこれから進む道を決めないといけない。
私は腹をくくった。もうこれから生きる以上は苦しいことの連続であることは間違いない。それでもダメだったらナマポをもらって細々と生きていけばいい、そう開き直ることにした。そう思ったら少し力が抜けた。
自分は人生をちゃんと生きようとしすぎたのかもしれない。生きるの基準が高かったのかもしれない。もう少し生きるの基準を下げよう。怒られても大丈夫。クビになっても大丈夫。
母親が言ってくれた「生きてるだけでいい」を大切にして、明日も生きようと思う。
以上。
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