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『「待って待って、待ってよ御嬢さん』


訊けばこの界隈も

その昔に比べればだいぶ穏やかになったといいます


それでも

田舎者の私にしてみれば

足を踏み入れることが躊躇われる街に違いありません


三十余年前

父を長ドスで斬り捨てた

当人を尋ねました


不思議と恐怖心はありませんでした

古いつてを辿って

私からの手紙が

この人に届きました


おいでよ御嬢さんと

電話がありました

もう御嬢さんという歳ではありませんが


そしていま

その若き日の父をーーー


過去を問い詰めることはしません

それは父にも非があり

お互い様であろうことが

当時の様子からも容易に

うかがい知ることができましたから


ただ

長きに渡る獄中生活を経て

他人の首を斬ったことに対する

思いを訊いておきたかったのです


「生々しい話になるけど、いいかな?

「えぇ…かまいません

「だいぶキモが座ってる御嬢さんだな

「父のほうから、あなたに刃を向けたのですよね?

「まぁすまんけど、そういう、ことだ

「たしかに警察もそう言っていたと、母づたいに訊いています

「そこに至る経緯が肝心だと思うんだがな

「仰る通りですね、痴情のもつれだとか…

「へへ、まぁ、そんなところだ、あんたの母ちゃんはイイ女でさ、へへ

「真剣に話しています

「おぉこわいこわい、しかしな、発端はそういうわけだ

「あなたが服役中に、母は他界しました

「そうか…

「どうでしょう、私からの提案なのですが…

「ほう

「両親の墓前に参っていただけませんでしょうか

「んぅ...

「お盆ももう過ぎますが、いえ、すぐにとは言いません

「いや、行かないとは言わないんだがな…

「せめてもの弔いということに、なりませんか?

「だから、行くよ、行く、ただな…

「ただ、なんですか?

「ほらこんなご時世だろ?俺みてえなのが喰ってくにはよ

「話をそらさないでください

「いや、そうじゃないんだ聞いてくれ

「なんなんですか

「カネがいるわけでよ、新興宗教始めて、俺いま教祖なの

「えっ…

「てことで墓参りなんて信者に顔向けできねえわけよ

「呆れました、時間の無駄でしたね、失礼します

「待って待って、待ってよ御嬢さん

「もうあなたに用事はありません

「いや座ってさ、ねぇ、健康になる水、買わない?





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