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『雪どけの頃は近くて』


雪どけの頃は近くて


こんな時候には

地すべりに気をつけないといけない


雪国に育ったわけでもない僕が

こっちに住み始めて

最初に覚えたこと


大きな雪の塊が

雪崩落ちるときに

その下の土も一緒に


分校に今年の新入生はないと聞く

もっとも卒業生も今年は

いなかったんだけど


僕は去年から引き続き

同じ子達つまり

新二年生を受け持つことになった


生徒は3人

全校で12人


さっき述べたように

学年によっては0ってこともある


それでも

入学式も卒業式もなかったのは

この分校が建って以来

つまり80年ほどの歴史で

初めてだというから




ところで僕は

恋をした


生まれて初めてかもしれない


教師仲間のS先生に

恋をした


都会の学校の同僚には

まずいない

純朴なタイプ


あぁそうそう

教師って意外とどこでも

我が強いんだよ


だけどS先生は

そんなことはなくて

おっとりしていて


それに透き通るような

肌の色をしていて

まるでそれは

春の陽光にキラキラと照らされた

雪のよう


さわればもろく

崩れてしまいそうな

か弱さもまた

S先生の魅力じゃないかなと

僕は思う


僕は学生時代は勉強ばかりで

周囲のことには気が向いていなかった


教師になって初めて

こんな経験をするなんて

皮肉なものだな


でもこんなことを考えて

児童たちの教育をおろそかにしては

いけないんだって自覚もある


S先生は高学年を受け持っている

僕と同じで

たしか都会の学校から

田舎暮らしに憧れて


だからその辺の趣味も

きっとあうと思っている


「雪かきしませんか?」


いやそんな面倒なデート

ありえないだろう

自分のセンスを疑う


「帰り道送りますよ」


雪道の運転が怖くて

毎日バスで通っている男に

送られてもねえ


けっきょく

どう声を掛けていいかわからないまま

赴任1年目は過ぎて

この春を迎えた




そしてS先生はどうやら

もうすぐ産休に入るって


ほんとはもう少し早く休みたかったけど

終業式までは責任を持ちたいからって

そういうことだったらしい


思えば僕はこの一年間

S先生をデートに誘うどころか

一緒に帰宅するどころか

ほとんど言葉を交わしたことも

なかったような


だからまず

彼女が既婚者だったことや

妊娠していることなんて

つゆしらず


教務主任からその話を聞かされたとき

目の前が真っ暗になってしまった


正気を保とうとなんとか堪えたけど

正直あまりその後のことは

覚えていなくて


誰もいなくなった教室で

陽がくれるまでぼうっとしていたら

帰りのバスも逃してしまい

とぼとぼと山道を歩いて帰った記憶


S先生のお相手は

彼女が新卒でこちらに来たときに見送った

卒業生だというから

なおのこと驚いた


狭い田舎

調べはすぐについた


僕は都会生まれだけど

田舎暮らしに憧れてここへきた


四季折々の美しい風景

とくにこの雪深い冬が終わって

雪解けの水が流れ込む情景が

なんとも言えず好きだ


S先生の嫁ぎ先は

広い庭と納屋のある立派な農家

背後には杉林の斜面

いまだに深い雪で覆われている


これが雪崩れてくればいいのに


意図的にやることは

僕の知識や体力では

難しいなと思って


仕方がないから

周りに誰もいない時分を見計らって


木造の母屋の壁に火をつけてみた


S先生

今年は卒業生がいませんでしたね

でもきょうをもって

教師の僕は

社会人を卒業します











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