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『穴、首、飛ぶ、羽目』


ヨシダ商事よしださんとこからの支払いが今月も滞るようだと、いよいよ俺のほうも首を吊らなきゃいけなくなってくる。いくら親父の代からの懇意とはいったって、ウチの売上の4割もあそこに頼っているようじゃダメだったんだ。そんな簡単なこと、いまどき中学生でもわかるっていうのに、どうして俺はこんな状態になるまで気がつかなかったのか。

いま支払いの督促というか、もはやその場で現金回収して来いと、営業部長の谷岡たにおかと経理部長の日向ひゅうがを向かわせている。すでにこの2人には2か月前から給与を8掛けにして我慢してもらっているので、社長の俺としては申し訳ないことこの上ない。まさに彼らにとっても正念場といえるだろう。ちなみに社長の俺はもちろん、ここ半年はタダ働きだ。

俺の携帯が鳴る。日向からだ。

吉田さん、飛んだらしい。そうかそうか。

ビルオーナーに連絡を取ってみたところ、先週突然退去を申し出てきて、そのときにはすっかり搬出が住んでおり、空っぽの部屋に鍵だけが置かれていたということだ。よって事務所はもぬけの殻。

谷岡のほうは吉田さんへ直接連絡を試みるも、案の定繋がらないとのこと。ビルオーナーへ吉田さんの新しい連絡先を訊ねたが退去の連絡が一方的にあった以降は我々と同じで、なおかつ賃料もここ数か月溜まっていたというからやはり彼も被害者で相当ご立腹の様子。

日向を法務局へ向かわせ、ヨシダ商事の登記がどうなっているか調べさせる。いっぽう今度は俺が”元”ヨシダ商事のオフィスへと向かう。

エントランスでは谷岡が虚空を見つめて俺を待っていた。声を掛けるとハッとした様子で襟を正す。電話で事情は訊いていたが、ビルオーナー立会いのもと改めてオフィスを見させてもらう。これまで何度も足を運んだ10坪ほどの小さな執務スペースだが、荷物がない分、少し広く感じる。

俺が部屋へ一歩踏み入れたとき、はらりと封書が目の前へ落ちた。ドアの上のへりに立てかけてあったようだ。宛名にはなんと俺の名前。背筋が凍る。ただの謝罪文であってくれ。いくら商売上だけとはいえ、親父の代からの付き合いの吉田さん。勝手に飛んだことで、俺にも俺の家族にも、そして従業員とその家族たちにも大変な迷惑をかけてくれた。だからって、惨たらしいことはやめてくれよ…。

そんなことを思いつつ封書を開ける。

手紙と思いきや、ディ○ニーランドもしくはシーの入場券が10枚。他にメッセージはない。こんなモノ支払いの代わりになんてとても成り代わらない。とはいえ、本人も不本意であったろう飛んでしまった吉田さんの、せめてもの気持ちとして受け取ることにした。そしてチケットを封書へしまい、そのまま隣の谷岡へ。

「これウチが去年、社内の忘年会で景品にしたやつですよ。ほら、経理部印が押してありますから。どうして吉田さんが…」

呆れる他なかった。一応、日向には内緒で取っておけとだけ伝える。

ちょうどそのとき、法務局に赴いた日向から電話が。

「社長、そういえば今日って日曜日でしたね、法務局は…」

行くときに気づけよと日向に腹が立つとともに、俺自身の馬鹿さ加減に閉口した。日向へは電話口で詫びつつ、今日はそのまま帰宅してもらって構わないと伝えた。

その顛末をずっと傍らで伺っていたビルオーナーが口を開く。

「こんなこと初対面で言うのなんだけど、社長さんあなた経営向いてないし、従業員のあなた、こんなブラック早く辞めた方が身のためだよ」

そんなこと言いますけど世の中そんな話は単純じゃないんですよと返す谷岡。ところで貴方は上から目線でなんなんですかと、俺もつい気が大きくなって言い返す。やにわにビルオーナーが自分語りを始める。

「私はね、曽祖父の代からある土地に、祖父がビル建てて。まぁ正直、気楽なもんですよなんだかすみませんね」

舐めた口をききやがってこのジジイと掴みかかろうとする谷岡を、羽交締めにして止める俺。すると谷岡の矛先はこんどはこちらへ向き、おまえが給料をちゃんと払えばこんなに俺は暴れずに済むんだと、怒りの拳が俺めがけて飛んできた。本能的に避ける俺。

壁に大きな穴が開いた。

ビルオーナーの目前で繰り広げられた顛末は、言い逃れのしようもなく、また無駄に散財をする羽目となった。

もう俺も首が回らんよ。だからいよいよ今夜、俺も飛ぼうと思う。

あぁその前に、夢の国で遊んでからでも遅くないかな。

谷岡にさっきのチケットを返してもらおう。










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