『流星タクシー』
すでに俺は行き詰まっていた。仕事もプライベートも、まったくもって上手くいかない。
珍しく命じられたM市への出張。日の高いうちに商用を済ませて、ローカルな赤ちょうちんののれんをくぐることにした。
「そんなら流星タクシーに乗ったらー」
店主が言う。城跡だ郷土資料館だまわっても仕方ない、ぜひとも地元ならではのタクシーを利用することを勧めたい、と。
「ホテルは近いんか?」
ワンメーターでは済まないだろうな、という距離だった。チェックインしたあと、地下鉄でこの繁華街まで二駅だったわけだから。
「だったらー呼んでゃるよ」
だったら、の意味がわからなかったが、拒否する理由もなかった。
店の勘定を済ませていると、ほどなくして運転手がのれんをかき分けて顔を出す。この店の支払いでカードを使えなかったから財布の中身が若干不安だけれども、なんとかなるだろと思いつつ運転手の後を追う。
案の定というかなんというか、エンジンをかけた運転手は何もこちらに問いかけることなく、車を走らせ始めた。
どこいくんですかと、訊くまい訊くまいと思っていた言葉が口をついてでてしまった。
「あんら?お客さん聞いてなかった?まぁだったら別に知らなくていいですよ。悪い気にはならないはずですよ」
街並みが途切れて林道の入口がのぞいた。いきますよ、と運転手。そこは黙って同意した。
右に左に揺られる。先導も後続も、対向車もまったくいない山道。ただただ、この車のヘッドライトだけがつづら折りのガードレールを白く照らしている。
斜面がある程度ゆるやかになり、道は蛇行をやめ、このクルマ、気付くとカタパルトみたいなレーンの上に載っているようだ。運転手はハンドルから手を離し、バンザイしてヘッドレストを抱えている。
そしてプラネタリウムのごとき星空の模様に彩られたトンネルのなかへ。自分を包む妙な風景とそれをなぜかしら心地よく受け入れる自分。
「さんびゃっきろはよゆうででますよ」
加速する、加速する。Gがカラダにめっちゃかかる。ジェットコースターのそれだ。いまや加速しきって、運転手のいうようにたしかに300キロを超えている感触がある。
エンジンの音は聞こえない。かわりに、キューンというなにか軽いモーターのような音。
プラネタリウムが途切れて明るくなった。クルマは減速しながら、芝居小屋のロビーのごとく両側が造花で彩られたレーンをさらに数十メートルいくと、ふいに停車。
「つきましたーよ、と」
このまちのご当地ゆるキャラをあしらったノボリが2本、M市商工会議所と書いてある。青いハッピをきたスポーツ刈りの男性が長机に陣取り俺のほうをにこっとみる。
「はやかったでしょ?酔い覚ましに冷たい麦茶ありますよ、ききますよ」
タクシーはドアを閉めアクセルを無駄に吹かし、来た道とは逆のほうへ走り去った。つまり俺は取り残された格好だ。乗車賃も請求されていない。
「さんびゃっきろ凄かったでしょー!あのレール作るのに予算くったよー」
と言いながら、ハッピ野郎が俺の眼前に一枚のチラシを差し出す。そこにはこうあった。
『夢の地方移住生活 M市でのセカンドライフを応援!』
「なんなら嫁さんも紹介しますでえーさぁ座って」
とりあえず認印だけでもほしいとのこと。いやいやいやいやいや。そんなに甘くありませんよ。俺もうちょっと都会で、がんばりますから。