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あなたの寂しいと、わたしの寂しい。

わたしと同じくらい、あなたも寂しがっていてくれたらいいんだけど、そんなことを願っても何にもならないから、ただ顔をしわくちゃにして笑いかけることしかできなかった。どうせマスクで表情が読めないのならば、それはもう泣いているのと同じじゃないか。どれだけしあわせな日々もつらい日々も、平等に「過去」に流れ着く。その酷い現実に助けられることも往々にしてあるわけだから、諸行無常に耐えられないなんてことは言わない。何かに縋ろうとしてしまうのは、わたしが弱いからですか。でも、人間はみんな弱い生き物でしょう。「時間は唯一の万能薬」という言葉があるけれど、べつに使いたいときに自由に使えるものではないから、優れた薬ではないと思う。使いたくないときにも塗らなきゃいけない。その薬は、いまはまったく必要ないのに。でも、そもそも始めから、わたしたちには何一つの決定権も与えられてはいない。

もう明日から、朝「たまたま」すれ違うことも、図書館で「たまたま」会うことも、学食で「たまたま」会うことも、帰り際に「たまたま」会うことも、なくなる。本当は、それらの「たまたま」は全部わたしが仕掛けた罠だったけど、それが故意であろうとなかろうと、そんなことは大した問題ではなかった。『偶然は創るものです』という言葉を、あなたはわたしからすっかり盗んだ。その言葉に限らず、あなたはわたしの中からいろいろなものを盗んでいった。わたしはその違和感に気づいて必死に追いかけたのに、未だに返してもらえてないものがあるような、そんな気がしているのだけど、これはわたしの気のせいですか。でも、盗まれたものよりも多くのものを与えてくれたのもあなただった。それを知っているから、わたしはあなたのことを責められるはずもなく、盗まれたものだってこの先もずっと返さなくてもいいよと思えてしまう。それだけが唯一の接点になってしまっているから。

わたしは、"いまのわたし"がいるのは「あなたが手を引いてくれたから」という。あなたは、『君が自力で近くまできてくれたから』と応える。どちらかが欠けていたら、いまこの瞬間にnoteを投稿している"わたし"は存在しなかった。あなたとわたしで創った「わたし」のことが、愛おしくてたまらない。


いまなら、こういう人生を歩んできてよかったと心の底から思える。しょうもないけれど、まったくしょうもなくない人生。凸凹だらけの道でずっこけたまま、泣きじゃくるだけの人間にならなくてよかった。責任を誰かに押し付けて文句ばかり言っているような大人にならなくてよかった。どんなときでも人前では楽しく振る舞えるから、基本的に「人当たりが良い」と言われるし、与えられた役割を精一杯やりきる学生でいられてよかった。常に膝上のスカートを履いてピンク色の小物を身につけているようなキャピキャピした「女の子」でよかった。欠落だらけの"このわたし"だったから、「明日になって欲しくない」「別れが寂しい」と思える大切な人と、大切な関係になることができた。

ありがとう。きょうまでたくさんの学びを与えてくれて。ありがとう、わたしが最初に哲学に興味があるんだと言ってあなたに声をかけたときに、『哲学に救済を求めてはダメですよ』と注意をしてくれて。わたしの(決して高くはない)レベルに合わせて、その都度、面白い理論や本を紹介してくれて、どうもありがとう。わたしにとって大学はとても良い居場所だった。幼い頃から欲しかった学びはこういうかたちをしていた。不登校をきっかけに「学問」から離れるような選択をしなくて、本当に良かった。あなたに出会えただけで、この人生を選んでよかったと思えます。

『これから寂しくなります』の一言で、わたしの涙腺は可笑しくなった。泣いても泣いても笑えてきて、どうもできなかった。あなたの中で湧き起こったそれが、わたしが感じている「寂しい」とは別物だとしても、同じ言葉を扱えただけで十分だった。きょうまで本当にお世話になりました、ありがとう。大学生になれて、よかったなぁ。


それではまた。

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