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おんなの本能

細胞レベルで感じた話。

先日、友人の赤ちゃんと初対面。
生後3ヶ月、発育が良くむっちむち。
桃から産まれた桃太郎もこんな感じだったのかな?と思わせるような愛らしい風貌だ。

よく笑い、泣き、眠り 「赤ちゃんとは本来こういうものだぜ!」とばかりに赤ちゃんらしさを発揮している。

産後久々に会う友人は、憑き物が落ちたかのような透明感ある美しさを放っていた。


私には物心ついた頃から不思議と、妊娠出産をしたい という気持ちが無い。

何かトラウマがある訳でもなく、友人たちの出産には心から喜びが溢れ、子どもを慈しむ気持ちもあるのになぜか自分にあてはまる気がしなかったのだ。

妊娠出産は、多くの女性が成してきたいのちをかけていのちを繋ぐ尊いリレーだ。
神秘さ、辛さ、おぞましさ、天上の喜び
全てが織り混ざった偉業でもある。

また、誰しもが授かるわけではないことも身近な経験からよく知っている。

そこに本来優劣はなく、只々いのちの法則や采配に対して敬意を表するだけだ。

今まで様々な子どもや赤ん坊と接してきたが、今日はじめて「産みたい」とシンプルに感じた。

パートナーとの同意や、結婚、妊娠といった経緯はすっ飛ばしてその気持ちが身体に降りてきた

あぁ、これは本能だ。
私の中に眠る、繁殖を司るおんなの本能だ。

そう気づいて驚いた。

赤ちゃんが欲しい という言葉はよく聞く。
欲しい の言葉の先には、育児や幸せな家庭も含まれているように思える。

産みたい はそんな未来を見越した頭からの声ではなく、身体からの声だった。

今、どうなるかは何もわからない。
子を宿せるかも分からない。

宿しても宿さなくても、最終的にはどちらでも良いと感じている。

ただ、この身体の声は大切にしたい と思った。
損得勘定のない 美しい気持ちだったから。

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#赤ちゃん #気持ち #母 #いのち #命






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