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こだわりがないことは、わるいことではない。〜森博嗣さん「なにものにもこだわらない」感想〜

何かにこだわりのある人の方が、偉い、そんな気がしながら日々を過ごしていた。

何かに突出している
何かがとても好き

何にもこだわりのない人は価値がない
だから現代社会では、生きる意味がない、

わたしはずっと劣等感を持って日々を過ごしていた。

「ずっと」、という言葉が意味する期間は、具体的には「3年前」。(想像していたよりも最近のことだった。)それ以前は生きることに必死で、自分の存在意義なんて考える余裕がなかった。おそらく「3年前」はだいぶ生活が落ち着いてきたという証拠。やっと自分のために時間を使えるようになったという証拠だ。それは幸せなことだと思っていたのに、自分の存在価値を見出せずに苦しんでいた。

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図書館でふと手に取った一冊の本、森博嗣さんの「なにものにもこだわらないは、タイトルから何となく分かるように「拘る必要は無い」という内容になっている。何年前の作品なのだろうと思ったら、2019年3月に出版された本だった。現代で「拘らなくていい」と言ってくれる人がいる、そのことがわたしの心を救ってくれた。さらに「拘り」に対する違和感もわたしの感覚ととても似ていて、わたしの心の拠り所となった。

わたしと同じように「こだわりがなくて生き辛い」と思っている人に是非とも読んでいただきたい。

ネタバレはあまり好きでは無いので、わたしが感動した部分をまとめたメモを少しだけ紹介する。なにかピンとくるフレーズがあったのなら、読んでみてほしい。

・拘らないことで目指すのは「自由」
・自由とは「自分が思ったとおりのことを実現する」状況のこと
・「好きだから」という拘りが、いつの間にかか自分を不自由にする
・「個性」「過去」「趣味」「苦手」「得意」「生死」に拘っている
・拘る理由は省エネのため
・拘ることは思考停止
・「拘る」の反対は「好奇心」(成長)
・「なにものにも拘らない」=「自由な状態への拘り」
・自由にはお金がかかる
・自分に拘っているから誰かに腹を立てることになる
・優しさとは拘らないことである


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そもそも、どうしてこだわらなければならないのだろう。

人生は一度しかないのに、柔軟に物事を楽しんではいけないのか?

何かの専門家で生きなければいけないのか?

ずっと疑問に思っていた。

だけど「その方がマネタイズにつながる」と信じて、自分を偽って、情報発信を開始した。(Twitter開設当初は「Voicy」に特化しようとしていた。苦しくなって続かなかった。note開設当初は「エッセイ」に特化しようとしていた。今ではインタビューを書いてみたり、小説を書いてみたり、絵を描いてみたり、面白そう、できそう、と思ったことを突発的に行なっている。)

でもこの本を読んで「拘ることは不自由」であり、わたしの目指している生き方ではないなと確信した。

わたしはわたしのままでいい。色々なことに興味を持ち、色々な面白そうに挑戦していく。続けることにもこだわらないし、諦めることにもこだわらない。

おそらく、消費者目線からだと、何かに特化した生産者の方が選びやすいから「こだわる」必要があるのだ。選ばれやすい=売上につながる=お金が稼げるということだろう。わたしの人生は「生産者」としてのわたしだけではない。「生産者」のわたしはあくまで一部分の自分だ。そこにこだわってしまうと「自由」を失ってしまう。自分の見せ方の問題なのかもしれないけれど。

とにかくわたしも「なにものにもこだわらない」生き方をしていきたい。

だってその方が、人生楽しそうだから。


牧 真姫子🍙エッセイスト(@makicome1986


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