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「読書」って、自分の人生を生きることだ

皆さんは、読書に関わる息苦しさって感じたことありますか?

「積読しちゃいけないけど、溜まっていく」
「〇〇読書法をしなくちゃいけない」
「月に〇冊読まなくちゃいけない」

…など、挙げればキリがありません。

だけど最近、「読書は、もっと自由で楽しいもの」と、ある本に教えてもらいました。

それが、今回ご紹介する本、荒木博行さん『自分の頭で考える読書 変化の時代に、道が拓かれる「本の読み方」』です📖

Voicy「荒木博行の book cafe」のマスターとして、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

多くの本たちを向き合ってきた荒木さんが解説する、「本の読み方」が詰まった1冊です💡

他人の頭で考える読書への警告

まず、『自分の頭で考える読書』というタイトルは、「他人の頭で考える読書への警告」と、荒木さんは言います。

無意識で読書していると、その本の内容を無批判で受け入れてしまいがちです。

そうではなく、「この本では〇〇と言っているけど、私はこう思う」を導き出すこと。

自分の場合、特に、好きな作家さんだと無条件に「わかる!」と受け入れがちです。

だけど、あえて意識的に新たな「問い」を持つことが、読書では大切なのかもしれません💡

思考できるだけの「余白」がある

続いて、最もハッとさせられたのが、この言葉。

本には、五感的にも時間的にも、思考できるだけの「余白」が十分にある。

つまり、「自分の経験や思考をフル動員して言葉や文と向き合い、その意味を解釈せざるをえない」ということ。

例えば、映像作品では、情報量が多いために受け取ることで精一杯になりがちです。

鑑賞中に、深い思考に入ることってそんなに無いのではないでしょうか?

一方、本では、情報量が少ない。

それは、思考できるだけの”余白”がある魅力でもあります。

本には余白があるからこそ、その余白を読者がいろいろな色で塗りつぶしていき、塗りつぶされた色によって、その本は新たな命を与えられていく

余白を通じて、思考を楽しめる読書。何度も読書に救われてきた理由が、ここにある気がしました。

本を読むとは、生きることと相似形

最後に、大好きな荒木さんの言葉をご紹介します。

「本を読む」という行為は、「生きる」ということと相似形
他者からの強いメッセージを受け取りながらも、それに呑み込まれずに、自分の弱い懐疑を挟んでいく、その中にやがてくる「答え」を持つ。
他者の答えを受けながらもささやかな主張を続けていく、という読書こそが、「生きる力」を鍛えることにつながっていくのではないか、私はそう考えているのです。

「本を自由に手に取れる時代に生まれて、本当に幸せだ」と思う一方で、受け取り手の私たちも、ただ受け取るだけでなく「自分だったらこう思う」と考え続けることが大切なのかもしれません。

そして、この本を読んで思ったのは「もっと自由に、楽しく、本と向き合っていい」ということ。

読書に関わる息苦しさは、もう手放して良いのではないでしょうか?

「自分の人生を生きること」も、きっと同じだと思うのです💡

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

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