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書評#3 作家 東野圭吾

東野圭吾作品と私

「マキさんはどんな小説を読みますか?」と聞かれると、なんと答えようか一瞬迷う。とても立ち話ていどでは語りつくせるはずもなく、「えーと、ちょっとそのへんでお茶でも」となってしまう。けれど今だとなかなか気軽に茶飲み話もできなくて、だからそんな話を、今日は書きたいと思う。

 好きな小説を聞かれた私は迷った末にひかえめなフリして「東野圭吾さんとか…」と答えるがこれはほんのジャブである。わたしの家には東野作品が40冊以上あるし、何回も読み返している作品もたくさんあるし、けっこう太い東野ファンだと言ってもいいと思う。ここで40冊という数に圧倒されず、ジャブに打ち返してきてくれる相手だった場合、私もがぜんバイブスが上昇してお茶をおかわりする。

 東野圭吾といえばガリレオシリーズなどのトリックを使ったミステリや怨恨のからみ合った連続殺人モノがまず頭に浮かぶ。でも、40冊も読んでしまうと、やっぱりそれだけじゃ東野圭吾を語りつくせない。
 東野圭吾は大学で電気工学を専攻していて、もとはエンジニアとして働いていた。彼がもつ研究者の目は、人間の微妙な感情のよどみを見逃さない。機械工の手は、人間関係の中からすくい上げた感情を精緻に、もっとも効果的な順序で組み立てて言語化する。1ミリも間違いのない言葉選びと、計算しつくされた構成に触れていつも思うのは、これこそはまさに工学者の書く小説だ、ということだ。

 工学者、というと、いかにも左脳だけで作品を創り出すような無機的な感じがしてしまうけど、東野圭吾は工学者なだけでなく、まるで心理士のようでもある。彼が作品の中で描写する人間の心理はいつもとても微妙で、そして普遍的だと思う。殺すつもりまではなかったのに死んでしまった。避けきれず轢いた事故から逃げてしまった。好きな女性を乱暴した男を許せなかった。こうした、誰もが出遭ってしまう可能性のある不遇とその対処を誤る人間の弱さが描かれた作品が、東野圭吾にはとても多い。

 幸運にも私は東野作品に出てくるような事件に巻き込まれたことはない。でも、東野圭吾の作品を読んでいると、事件を起こす者と私の間とに、それほど大きな差なんてないのではないか、と思えてくることがある。どんな人間でも生きていれば良い時期と悪い時期がある。東野の作品はつまり、悪い時期がきてしまったとき、自分の弱さの鎖をたち切れずに道を踏み外してしまった人たちの物語なのだ。
「人間が殺人を犯すのは動機があるからではなく、人間が愚かだからだ」とは東野圭吾本人の言だ。虚栄や嫉妬、責任のがれ、そういう、ふつうの人間の弱さを東野は徹底して書く。だから大人になればなるほど、彼の書く世界が自分のそれと重なり合っていき、読まずにはいられない物語が増えていく。

 東野圭吾がさすがエンジニアだな、と思うもう1つのポイントは、文章がすごく読みやすいことだ。読んでいて”モヤっと”する場面がない。「そう、そこ気になってた」というポイントをちゃんと作中で解決してくれて、読者を置き去りにしない。そういうユーザー・インターフェースに秀でている点はやはり技術者らしく、彼の作品は純文学とはやはり一線を画すのかもしれないけれど、本はすらすら読めることも大事だ。だから小説を初めて読む人にもお薦めしたい。最近の作品だと、木村拓哉主演の映画にもなっているマスカレードシリーズも読みやすいと思う。
 このマスカレードシリーズの印象もあって東野圭吾はエンタメ作家と見られがちだけれど、しかしそれは早合点。油断して手に取ると胃腸をズシンとやられるような、沈鬱な作品も少なくないので要注意。

マキさんおすすめの読後感の悪い東野圭吾作品ベスト3

 というわけで突然ですが私的、東野圭吾の「読後感の悪い作品」ベスト3のお時間です。
 まずは代表作の1つともいえる「手紙」、もうこれしかないでしょう。主人公はある日突然、殺人犯の弟になる。老若男女、貧富、地域という境遇を問わず、私もあなたもシャッチョーさんも、この主人公と同じ立場に転落しないと誰が言いきれるでしょう。「不運な人だな」なんて言っていられないのです。今日も世界の誰かに、この役が回ってきているのだから。

 上の「手紙」と対をなすとも言える作品で、性被害を受けた末に殺された少女の父親が主人公。被害のありようがあまりにも克明に描かれているため、精神的ショックが大きく、それゆえに主人公に感情移入しやすくなっています。「加害シーンを読むのはかなりキツい」と前情報を得ていたので、自分を鎮めながら慎重に読んだつもりですが、それでも私には耐え難く、個人的にはこの本を、お子さんがいる、とくに年頃の女のお子さんがいる人には薦められない。ご留意ください。

 上の2作品ほど知名度は高くありませんが、こちらも凄いダークホースです。表紙からして怖いですが、読み終えれば予想を全く裏切らない暗澹たる気分になることができます。やはり人心描写が出色しているのでときどき表現を参考にしようと手に取りますが、本当は手に取りたくないのでふだんは本棚の奥にしまっています。まあ今日取り出してしまいましたが。怖いのに手放せない。なんとも呪いのような作品です。

 この3作品にしても、主人公も殺した者も殺された者も、至極ふつうの人間だというのが最大の特徴ではなかろうかと私は思います。ふつうの人間のふつうの愚かさを、小さく小さくブレークダウンし、順序立ててちりばめたものを、東野圭吾は記号に変換し小説として織りなしている。
 だから幸運にも私の身の回りには事件はないけれど、それは本当に幸運なのだろうと思うほかありません。人がだれかを恨んだり妬んだり、自分の過去を呪ったりしたかすかな瞬間と、私はきっと生きている間に何度もすれ違っているはずだから。
 


 



 


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