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はっぴぃえんど 2000字のホラー小説

 はっぴぃえんど

 朝起きて、家を出て、電車に乗る。会社に着いて、仕事して、帰る、そんな日々を繰り返し、気がついたら30代に突入していた。今している仕事は嫌いではないが好きでもない。勿論学生時代に憧れた職種ではない。給料に大きな不満はないものの、少なすぎるとは思わない。だからよく私は「これでいいのだ」と、我に返りそうになる自分に言い聞かす。

 「20歳ならまだしも、この歳で仕事をやめてやりたい仕事を目指すなんて馬鹿だ」続けてそう言わないと、本当にやめそうな気がしてならない。「私の人生はこれでいい」周りの人から今の私を見たら、きっとまさかこんなに心の中で常に揺れているなんて思わないだろう。職場の私への評価は悪くはない。そういえば、「同期よりも昇給が速い」と人事部の先輩がこっそり教えてくれたっけ。

 家を出て駅に向かう。昨日も一昨日もこの道で見た顔がチラホラ。しんどそうな人は今日もしんどそう。それでいいのか、顔は知っているけど話した事はないし、この先もずっと話さない人たちと今日も会い、同じ目標を目指して歩くってなんだか不思議。まあいい、今日も昨日と同じ日になるのだろう。ああ、なんてつまらないのだろう。昨日と同じってなんてくだらないのだろう。私の今日も、明日も、明後日も昨日と同じ。これでいいのかな。

 駅に到着して、改札を抜ける。階段を上がり、ホームに出た。一番前の車両に乗るためにしばらくホームを進む。女性専用車両もいいけど、この時間帯の前の車両に乗れば大抵席に座れる事もあって私はいつも乗る車両は一番前と決めている。
 1番前まで行くと、足を止め電車を待った。数分すると駅のアナウンスが流れた。まもなく特急が通過するらしい。その電車が過ぎると次に乗りたい準急の車両が目の前に停車する事は勿論知っている。
 もうすぐだ。電車が来たらその中に乗り、会社に私は行く。はい、いつもの単調な日が始まります、と。

 しかし、そうはならなかった。

 ぼんやりといつものようにこれから通過するであろう電車を見届けようとしていたら、白い服を着た女の人が私の前をゆっくり通り過ぎ、ホームから線路の中に落ちた。「え?」今見た視界からのその情報に混乱する間もなく、大きな警報音と共に電車が通過して、血が吹き飛んだ。血、血だ。赤い血だ。

 その血を見ていなかったら鳴り響く警報音に驚いていただろう。

 血が、飛び散った。
 電車はホームをはるかに過ぎた所で止まった。女の人が落ちて、電車が通り、血が爆発して、電車がホームの先で止まった。

 様々な叫び声が耳に入ってきた。その中に自分の声も混ざっていた。
 地獄だ。

 その日、私は会社を休んだ。風邪以外で欠勤なんてした事がなかったので、会社に休む理由を伝える時に本当の事を言おうか迷ったけれど、結局は嘘をついた。その時に見てしまったものを一刻も早く記憶から消し去りたい自分にとって、あの状況を説明するのはあまりにも心理的な負担が大きいと判断した。お酒もすぐに飲んだ。「朝からお酒を飲むなんてどうなのかな?」派な自分でも、とてもじゃないがシラフではいられなかった。あの日、何時に家に着いていつ寝たかは覚えていない。

 次の日、駅に向かう足は異様に重かった。出来るならしばらく休みたかったが、社会人としてなかなかそうはいかなかった。
 いつも見る人を見つけて少し安心した。この中に私と同じようにあの場面を近くで見た人もいるはず。どういう気持ちで歩いているのだろうか。私は正気でいる自信がない。だからと言って休んで家に1人でいても怖いので私はこうして歩いている。霊感なんてないし、ホラー映画は作り話だとわかっているのに、駅に着くのが凄く怖い。

 あの人は昨日亡くなって、絶対にいるはずなんてないのに、無意識に白い服の女の人を探そうとしている自分がいる。
 馬鹿げている。
 絶対にいるわけないのに。

 私が向かったのはホームの真ん中あたり。1番前はしばらくは行かないと決めている。絶対にいないのはわかっているけど。

 女の人を無意識に探そうとしない様に私は視線を下げるようにして歩きスマホをした。そしたら、開いたSNSで昨日の人身事故についてのニュースが流れていた。

「亡くなったのは78歳の男性」

 文字を見て驚いた。
「男性?若い白い服の女の人ではなくて?」
 記事に書かれた事故の日時と場所を確認した。私が遭遇したあの事故に間違いないが、私が見たのはお爺さんではなくて黒髪の白い服の女性だ。一体どうなっているのか、私が昨日見たのは夢だったのか、夢ならこんなにリアルなはずはない。

 見ているスマホの先に白いスカートが映った。反射的に顔を上げると、あの女の人がいた。そして、その女の人がホームに立つ見覚えのある男性を線路の方へとおしていた。毎日見るしんどそうな人だ。気づいたのは私だけ。おされている男性も何故か気づいていない。金縛りにあったかのように私の手は動けない。電車の警報音が鳴り響く。 
 男性が線路に落ちる瞬間、目が合った。怯えている。女の人は笑いながら続いて落ち、電車が通過した。

 完

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