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臨命終時 #2000字のホラー

臨命終時 #2000字のホラー

 白い壁が見える。頭が割れるように痛い。自分の目で確認した訳ではないのに、体の様々な場所から血が出ているのがわかる。経験した事のない痛みが襲っている。痛い。
「助けて」
 意識が遠のく。

 懐かしい景色が目の前に広がっている。子供の頃によく兄弟たちで遊んだ公園だ。大きな池も見える。ここに来るのはいつ以来だろうか。入口からゆっくりと中に入った。
 桜の花が咲いている。
 おかしい、今の季節は確か春ではなかったはずだ。春ではなく秋であったと思う。秋に咲く桜の種類なんて聞いた事もない。河津桜という、冬の終わりがけに花を咲かせる種類がるのは知っていたが、ただ自分が知らないだけなのだろうか。まあ、知らないだけなのだろう。現にこうやって秋なのにこの桜は満開だ。この季節に咲かない桜であればこの花びらは存在しえないだろう。
 それにしても立派な桜だ。ここに桜の木があるのはわかっていたが、これほどまでに見事だとは記憶になかった。子供の頃は「大きな桜だなぁ」としか思わなかったのに、こうやって桜の木を見ただけで色々と考えるの、年を重ねたからかもしれない。


 機械音が耳に入る。遠くにあった意識が戻った。痛みはあるような、ないような。瞼をゆっくりと開けた。眩しい。光が目に入る。手のひらで遮ろうとしたけど、何故か手が上がらない。どういう事だろう、おかしい。金縛りにあっているのだろうか、体がちっとも動かない。ああ、金縛りなんていつ以来だ。学生時代には頻繁になっていたけど、ここ最近はなかったから意識はあるのに体が動かない状態は久しぶりだ。何度なってもこれは慣れない。少しも、体のどの部分も私の脳からの命令を拒否している。どうしたものだろう、とこの事態を打破する方法を模索した。そしたら、確か金縛りを解除するにはお経を唱えるのがベストだった事を思い出した。そう、そういえばいつもこのやり方でこの苦境から抜け出していた。さっそく心の中でお経の一部を唱えてみる。一度だけではなく、二度、三度と念じた。

 しかし体は動かない。もっと丁寧に念じるべき?今度は心を込めて唱えた。しかし体は動かない。どうなっているのだろう、これ以外に金縛りを解除する知識は持ち合わせていない。金縛りではない?いや、だったらほかに何があるだろう?あ、そうか、これは夢だ、今夢を見ているのだ。そうに違いない。久しぶりに見る夢がまさかこんなに最悪なものだなんて災難だ。最近、職場で嫌な事ってあったかな。悪夢を見る兆候なんてなかったのに。


 公園の中を一人歩いた。懐かしい。よく愛犬の散歩で池の周りを歩いた。大好きだった愛犬。ゴールデンレトリバーの大きな温厚な犬。学校で嫌な事があった日も話を聞いてくれたし、心がもやもやしていた時もそばにいてくれた。大切な家族。この公園はその大切な家族との思い出が沢山詰まっている。「会いたいな」いつもの様に願っていたら、足に何かが当たった。足の方向に視線を落とすと、犬がいた。愛犬と同じ犬種だ。首輪はしていない。こんなに大きな犬をリールをつけずに散歩なんて飼い主は何をしているのだ?周囲を見たわしてみたが、誰もいない。この犬種が犬の中で一番好きだし、温厚な性格だとも知っているから自分は怖がるよりむしろ喜んでいるが、散歩ではないのか、もしかしたら家から抜け出してきたのかもしれない。それだったら公園内はいいが道路に出るのは危険だ。その犬の目と目が合った。あれ?ジョニー?あ、ジョニーというのは私の家族だったレトリバーの名前。10年以上前に亡くなっているからジョニーのはずはないのに、ジョニーの顔にそっくりだ。

「ジョニー?ジョニーじゃないよね」

 そしたらその犬は尻尾を全力で振りながら更に体を近づけてきた。ジョニーだ。ジョニーに違いない。ジョニーだ。まさか、また会えるなんて。嬉しい。私は泣きながらジョニーを抱きしめた。


  白い霧がゆっくりと消えていくと、家族がいた。そして何故かみんながみんな泣いている。泣いているのは私と同じだね、なんてね。あれ、公園ではなく、また白い天井の部屋だ。また悪夢に戻ってきたって事?同じ夢を続けて見るってこれまで経験したかな、こんな事ってあるのか。何が何だかわからない。そしてやはり体は全く動かない。それに強い痛みを感じた。意識がぐらぐらと揺れている。瞼が再び閉じようとしている。そうだ、それでいい。こんな夢なんて一秒でも早く終わりにするべきだ。

「だめ、目を閉じないで、しっかり、生きて、生きるのよ」

「まだ死んだらだめ、生きて、死なないで」

 家族の叫び声が私の意識を混乱させた。死なないで?死ぬ?どういう事だ。私が死ぬ?そんな、まさか。体は動かないし、痛いし、視界もどんどん狭くなっているここに私は用はない。

 

 ジョニーがこの手の中にいる。立ち上がると、一緒に歩きだした。。体が痛くて動かないのに加えて視界も狭いあの悪夢よりここの方がいい。どうしてあんな悪夢を見たのだろう。

 遠くに懐かしい人がいた。


  終

臨命終時
→死ぬ直前。元は仏教語「臨終」と略して使われることが多い言葉。








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