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君に見せたい景色

 ホスピタルアートの小説です。

以前書いた小説の原点となる話です。今回の話から読んでもわかりますが、前回書いた2つの小説も読んでいただけたら嬉しいです。


続きになります。


 君に見せたい景色

 あの日から自分の人生は大きく変わった。それまで望んでいた未来ではないが、この今の人生で良いと心から思う。

 あの日、待望の我が子が生まれた。二人で幸せに浸ったが、喜びはつかの間、すぐに終わってしまった。出産後に子の異常が確定し、集中治療室へと隔離されたのだ。それからすぐに可能性の高い先天性の病気についてや、合併症の有無、手術の成功確率など、混乱する妻の代わりに医師から説明を受けたものの、100%理解していたかと言えば嘘になる。そしてその耳にする説明の全てが嘘であってほしいと願う程どれも良いものではなかった。悪い夢であってほしかった。だけど夢ではなく、これはいきなり目の前に突きつけられた自分たち家族の現実であった。

 妊娠中から陽水が多い事は耳にしていた。しかしそれがまさか病気のサインであったなんて、診断を受けた後も信じられないでいた。「何故、自分たちの子が」先天的な病気の子供が毎年産まれてくる事はわかっていた。しかしそれは自分たちにとって関係ない事のはずであった。

 病名がわかった。先天性の内臓の病気を持ってわが子は生まれたみたいだ。生まれた病院では対応が難しいとなり、すぐに大きな病院への転院が決まった。珍しいその病気を治すには早期の手術を受けるしかないと言われたのだ。あり得ない事の連続。気持ちの整理なんて無理だ。しかし絶対にこの子の命を救うとすぐに決めていた。自分の心の混乱などどうでもいい。必ず、救う。絶対に、救う。自分の命に代えてでも、絶対に、だ。その為にも名医に手術をしてもらうのが一番なのはわかった。医者の知り合いなんていないが、それは名医を探せない理由になんかならない。そんな事で救えないなんて絶対にない。救うのだ。そう決めた。友人、知り合い、ありとあらゆる人に小児でその病気の手術を成功出来る医師が知らないか?を聞いて回った。事態は一刻を争うのは目に見えている。食事をとる時間さえおしい。それに病気がわかってから寝ていないが、寝るなんて選択はない。今全力を出さないと、絶対に後悔するし、後悔なんてしない。今、今、今が全て。多少栄養をとらないが何だ、睡眠をとらないのが何だ、そんな事を休む理由になんかさせない。自分の食事より、睡眠よりずっと大切だ。父と母にも頼った。そしたら、父が名医がいる病院を調べ上げてくれた。父に礼を言って自分も転院先に急いだ。

 手術は翌朝にあると告げられてまた戸惑った。明日、明日だと。まだあの子は生まれて三日しか経っていない。あの小さな体にメスが入るのか。考えただけでいたたまらない。命を救う事も難しいが、「たとえ成功したとしても合併症の多い病気だから大人になれる確率は低い」と説明もされている。しかし命を救う方法はここで手術を受けるしかない。明日まで今の自分が出来る事はもはや祈るしかなかった。自分が医師だったらどれだけ良かったか、これまで勉強から逃げてきた自分を呪った。
 全身全霊で祈った。生きてきてこんなに神に祈ったのは初めて。勿論、タダとは言わない。「あの子の命が助かるなら、自分の命なんていくらでも捧げます」と同時に伝え続けた。それは嘘なんかではなく、本気で思っている。

 願っていると、看護師から血の提供の話を受けた。手術に伴い大量の血が必要らしく、可能ならば献血のお願いをしたいと言われた。「是非させてください」と即答した。自分の血の全てを使って欲しかった。それだけではなく、骨も、臓器も、使えるものは全てあの子にあげたい。全部あげる。あの子の命は自分の命よりずっとずっと重い。自分のものは全部いらない。全て放棄するから、どうかあの子を助けて下さい。

 人生で一番長く感じた時間だった。手術の成功は当然であり、あの子は健康になると信じていたものの、やはり不安は拭えない。駆けつけてくれた両親と共に、ただただ吉報を待った。

 何もない白い壁、静寂が支配する空間。

 音もない。何もない。

 答えを知るのが怖かった。両親に、疲れているだろうから一旦家に帰ってはどうか?と声をかけられたが、とても寝る気分にはなれないので断った。ずっと寝ていないので体が睡眠を欲しているのはわかっていたものの、その自分の体のサインは無視した。何も出来ないが側にいたかった。ただ願うしか術がない自分。それすら放棄したら今の自分には何も残らない。
 何もない壁を見つめながらひたすら我が子の無事を祈った。そしてそれが永遠に続くのではないか?と錯覚してしまいそうになる程時間の感覚が狂った。小さな我が子のことを想うと、一刻も早く無事に終わって欲しかった。「手術時間が延びる程、麻酔などその小さな体への負担が増す」という医師の言葉が脳裏を過った。ただただ無事を祈った。

 この重く苦しい時間を「大変だったね」と、大人になったわが子と一緒に酒を飲みながら話す日は来るのだろうか。酒が好きな自分の子ならばきっと同じく酒が好きになるに違いないと、一緒に酒を飲む日をお腹にいる時からもう思っていた。大人になり、好きな仕事を見つけ、いつか親元を離れてもたまに家族みんなで集まる、今は、ほんの少し前まで思い描いていたそんな当たり前の未来も考える余裕などない。

 我が子はきっと大丈夫だ。
 絶対に、大丈夫だ。


 続く

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