僕の発達障害の、ADHDの特徴と対処方法
僕なりのADHDの特徴と、実践しているその対処方法を書いています。
僕はADHDです
気づいたのは大人になってからです。子供の頃はまだその言葉がなかったので、診断はされませんでしたが、今思えば、存分にその特徴は出ていました。
子供の頃、僕は確かにみんなと少し自分は違う事に気づいていました。しかし、どこがどう違うのかはうまく言葉では言い表せませんでした。無理もありません、当時はその言葉がなかったのです。精神医学は日々進歩しています。今は発達障害という言葉は珍しくなくなりましたが、当時の僕はきっと大人にとっては「手のかかる問題児」としか認識されていなかったと思う。
子供時代の困った特徴をあげてみる
1 授業中席にじっと座っていられない
2 興味のない授業をきちんと聞けない
3 小学校時代、授業中一人で教室を抜け出す
4 靴ひもを小4まで結べなかった
5 友達ができない
6 人の気持ちがわからない
7 空気が読めない
8 忘れモノが多い
9 片付けられない。机の中がぐちゃぐちゃ
まだまだあるが、軽く書いてみてもどんどん書けてしまう。その全てに困っていたが、誰も助けてはくれなかった。通知表には先生から僕の不真面目さがびっしりと書かれ、ずっと歴代の先生から嫌われていた。しかし、それも無理もない。僕が先生であったら、確かに僕みたいな生徒は困るだろう。今の時代であったら適切な指導方法があるかもしれないが、当時はそんなものなんてなかった。
注意力の欠如
これはずっと今も困っている。好きなことだといくらでも集中できるのだが、興味が次々に変わってしまい、落ち着くのが難しい。体の動作はあまりないが、僕の頭の中は常に様々な思考が交差している。
意識がとぶ
自分で勝手にこう表現しているが、僕はよく意識がとんでいる。認識はないが、すぐに何かを想像してしまう。想像しないように頑張ってみても、無理であり、勝手に想像してしまう。親しい人達にはそれはもう当たり前になっているが、初めて僕に会った人はきっと驚きがあると思う。
その時に声をかけられても反応がにぶくなる。過集中状態にもなれるので、その時は話しかけられても返事が遅くなる。
何を考えているかわからない
これもよく言われる。おそらく、よく意識がとんでいるからかもしれない。意識がとんでいる間、僕は無表情になっているみたいだ。何を考えている?と聞かれたらその場その場で答える事はできるが、それは無意識に勝手にしてしまうので、自分でコントロールする事が困難である。
忘れモノが多い
これは大人になった今もずっと続いている。気をつけても、出来ないのだ。
興味のないことが頭にはいらない
学生時代、受験時にとくに困った。仕方なく興味のない科目も勉強したが、苦痛であった。逆に興味のある科目はいくら勉強しても苦ではなかったので、好きな科目と興味のない科目の成績の差が激しかった。好きな事の記憶力は、飛び抜けている自信があるが、興味のないものの記憶力は誰よりもない。
ここまで書いて、困難だらけであるのは少しはわかっていただけたら嬉しいのだが、では僕の人生はこれまでそのせいで楽しくない人生であったのか?
答えはNoだ
僕の人生は楽しい
僕はおもいっきり人生を楽しんでいる
シンドイ事ももちろんあるが、僕の人生はそんな事だけではびくともしない。
これは、ADHDのプラスな部分が関係しているかもしれないし、僕なりの対処方法のおかげでもあるかもしれない。
対処方法とは?
メモをする。
忘れてしまう事はわかっているので、メモを残す。すぐにやらないといけないことをする。後回しにすると、確実に忘れているのだ。
好きな仕事をする
興味のない、好きではないことをする事は無理なので、好きなことを仕事にしている。
運転は事故なし。
過集中できるので、むしろ安全運転ができる。その時会話は上の空になってはしまうが。
謝る
こういう人間なので、空気が読めなくて、人との距離感がわからず、人を傷つけてしまう事がある。気を付けてはいるが、どうしてもしてしまう。対処方法として、距離を大幅にあける、というのがある。それのおかげで、不思議な人間と思われているかも知れないが、それはそれでいい。しかし、距離がわからず、人を傷つけてしまう時がある。その時は謝る。自分が悪いのだ。謝る。特徴だから仕方ないとか、そんなの相手からしたら関係ないのだ。この考えは変えてはいけないと思っている。そんなの免罪符にならない。相手は傷ついているのだ。謝らないといけない。そして僕はいつも反省をする。しかし、いくら反省し、気をつけても、またしてしまう。その度に僕は謝ってきた。これは正直かなりしんどい。一番いやなことだ。自分だけが苦しむのにはいいが、それによってだれかを傷つけてしまうのは、本当にいやだ。しかも、どれだけ反省して後悔しても、またしてしまう。これは地獄だ。この絶望はきっと死ぬまで続くのだろうと思ったら憂鬱になるが、変えれないのだ。変えたくても変えれない。
マイナス面を書いてきたが、実はADHDにはプラスな面もあると思う。
僕はこれを勝手に天からのギフトだと思っています。
天からのギフト
アーティストや、歴代の偉人や芸術家、小説家には発達障害であったと思われる人が数多くいるのは、もう認められている。現在公表している有名人もいるが、みんながみんな、この天からのギフトを活用していると思う。
過集中
興味のある事、好きな事に集中し、没頭する事が出来る。それは、幼少期だれもがあるようなものだ。子供が遊びに夢中になり、自分の世界にはいっている状態だ。ほとんどの人が成長過程でそれを忘れてしまうが、僕は忘れなかった。
例えば読書が好きだ。
高校時代、学校の図書室にある本を辞書以外全て読んだ事がある。
僕は好きな事に没頭できる。
他人からしたら、そんなの出来ない!というような事が出来る。人はそれを圧倒的努力と呼ぶが、僕は努力とはあまり思わない。そこまで苦と思わないのだ。例えばぼくはブログを書きはじめて100日だが、180回書いている。プラスこのnoteにも別の内容を書いたりしているが、どうやら沢山書いている方らしい。しかし、僕からしたらそんなに苦にはなっていない。
ブログは、沢山書いたほうがイイ。だから書いているのだが、みんなどうして書かないのだろう?不思議になっている。ただ書くだけだ。何も難しくはない。しかし、どうやらこれは難しい事らしい。
例えばきょうはブログを三回書いて、この記事まで僕は書いている。何もしんどくはない。
言葉がいくらでも書ける。苦ではなく、むしろ書けば書くほどスッキリして心地よくなる。だから小説を書くのも好きだし、ブログを書くのも好きだ。小説はここのnoteにも載せています。ADHDの女の子が主人公の小説を書いています。
同時にいくつもの事ができる
僕がパソコン仕事をする時は、イヤホンでユーチューブ番組を聴き、本を読みつつ、スマホをいじりつつパソコンをさわっている。外から見たら異様な光景だろうが、僕はこれが心地良い。同時進行しないとシンドイのだ。例えばぼーっとするのが苦痛だ。常に何か文を読むか、聞くかしておきたい。だから脳がフル回転して疲れやすくなっているが、僕はそのほうが好きだ。
常に考えているので、そしたらぼーっとはしないのか?というとそうでもない
唯一、ぼーっとしても心地良い場所がある
それは、海の中だ。
だから僕はダイビングが好きなのだ。
好きな大きな理由の1つだ。
何故かわからないが、海の中にはいると、心が浄化されている間隔があり、たたただ無心になれる。ほかの事を考えなくてもいい状態に、勝手になっている。潜りおわると心が軽くなり、頭がスッキリする。だから、僕は多くの人にダイビングをして海のなかの世界を知って欲しいと思っている。
こんなに心地良い世界ってない!みんな、この世界を知ってほしい。この世界を経験してほしい。生命が海からうまれたから心地良く感じるかはわからないが、体の全てが海のなかにはいってゆっくり呼吸をしてその世界を見ると、僕はただただ癒される。
こういうふうに、良いところは沢山あるのだ。
ほかにも、記憶力が悪いのもいい時がある。
楽しかった事はおぼえやすいが、シンドイ事やイヤな事を忘れる事が出来てしまう。これは凄くデカい。だから僕は色々な経験をしてきたけどこうして上を向いていられるのかもしれない。
そりゃあ、ADHDではない人生が良かったと思う時もあるが、そう思った所で治らないし、改善しないのはわかっている。だから考えないようにしている。考えた所で何も変わらないのだ。何も変わらないものをいくら考えても意味はないという考え方にしてしまっている。じゃあ、受け入れて、その上でどう生きよう?と考えながら生きてきた。そうやって今34歳。昨日今日なったわけではない。だから今更もうそこまで悩む事は多くはない。
しかし、もっと寛容な世界になってほしいと思っている。僕が子供の頃に比べたらADHDという言葉が出来て、少しは浸透されてはいるが、まだまだ寛容な世界ではない。
もっと生きやすい世界になってほしい。
もっと寛容な世界になってほしい。
待っていても何も変わらないので、僕は動く事にした。僕が生きている間に実現するかはわからないが、少しでも生きやすい世界になってほしい。僕以外のこの特徴で悩んでいる人のために。
発達障害をテーマにした小説書きました
頑張ります。
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病院で海の写真を展示するホスピタルアート活動をしています
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