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三題噺② とつきとおか


三題噺、楽しいです。

お題メーカーのチョイスはよくわからんけど。これからもお世話になります。

「卒業式」「ケータイ」「ぬれた世界」

———

 「とつきとおか」過ぎたとたんに、わたしは全く別の生き物へと生まれ変わる。らしい。
わたしが決めたことじゃないから、困ったものだ。

 わたしは子どもという生き物で、子どもとして生まれ、子どものまま生きていくんだと思っていた。
お母さんとか、おじいさんはわたしとまったく違う生き物なんだって思ってた。
だって、わたしのからだはあんなにふっくらしていなければ、皺もよっていなかったから。象とアリのからだの仕組みが違うみたいに、セイブツガク的に、ジッショウ的に観察したら、わたしと彼らはまったく別の生き物にちがいなかった。

 でも、わたしは結局のところ彼らと同じニンゲンで、わたしはおじいさんにこそならないけれど、女になってしまった。こころは子どものまま、からだだけどんどん育ってしまった。

 10ヶ月。経つと、わたしはいやおうなしに子どもを卒業しなくてはならない。卒業式に出席するのは、大人になったわたしのからだだけなのだろう。子どものままのわたしのこころは、晴れ着もまとわないで、どこか遠くの公園をほっつき歩くのだ。
すっかり暗くなって、わたしが恐る恐る家に帰ってくると、窓から煌々と灯りが漏れてて、おとなのわたしが家族とテーブルを囲んでいる。お酒だって飲んでいるかもしれない。そして、ぎっちりしまったドアはもう二度と開かない。子どものわたしは、子どもらしくべそをかきながら、地球の裏側まで歩いていくほかないのだろう。
おとなのわたしは、それなりにうまくやっていくだろう。膨らみつづける空白を抱えながら。

 あの人は今どきスマホも持ってなくて、わたしはいちいちケータイ(ガラケーっていうのかな?すでに死語)に電話を入れてた。
夜がいつまでも明けないとき、ずっと電話をかけていた。
あの人はトラックの運転手をしてたから、私の電話をラジオの代わりにして、いつまでも夜の高速を飛ばしていた。電話代がえらいことになって、お母さんに怒られたなあ。

 お母さん安心してね。もう電話代は1円だってかからないから。
1万回かけても、もうつながりやしないもの。

 最後は、あの人のトラックの助手席だった。みんな洗いざらい話したら、終わってしまった。わたしは黙り込んで、そしたら雨が激しくなって、夜の高速が窓の向こうで溶け始めた。いくらワイパーで拭っても雨はとめどもなくて、濡れた世界では色んな明かりが膨らんでは弾け、うるさいくらいに賑やかだった。ラジオの時報が0時を告げ、わたしは明かり一つない暗闇に降り立った。
それで終わり。


 あの人は今までの通り、FMラジオを聞きながら高速を飛ばしているのだろう。
わたしは行き場のないことばを抱えて、いつまでも明けない夜をひとり、やり過ごしている。
じきにふたりになるよと言われても、何の慰めになるだろう。
わたしのこころは出かけたっきりなのだ。

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