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人から良く見られたい感情

こんにちは!
メンタルコーチの飯田千秋です。

今日は、「人から良く見られたい」人間として当然持っている感情について少し考えていたので、個人的な考えを綴りたいと思います。

色々な方とお話をして、課題として、
「人目が気になる」「人と比較して焦る」「失敗したくない」などの気持ちを持っている方が多いと感じます。

人として当然ありますし、私自身も持っていました。
自己肯定感、自分の存在価値、自信にも関わる部分ですし、誰だって人に評価されたい。だから当然の感情です。

でも
「人からどう見られるか」ばかり気にしていたら、やっぱり行動に制限がかかり、自己実現には辿り着けないですよね。

なのでこのやっかいな感情wについて、少し自分なりに整理してみました!
個人的な考えを含みますので、参考程度で聞いてくださいませ^^


「見え」が語源の「見栄」と「見得」

人から良く見られようと頑張る、この気持ちから単純にくるのは「見栄」でしょうか。

「見栄」を考えたときに
・「不安・弱さ」からくるもの
・「意図的」であるもの
この二つがあると考えます。

「見栄を張る」意味で使われるのは、
前者の「不安」からくる、
自分を飾る、大きく見せたい、うわべのもの。
要は、自分のためのもの、ですよね。

もう一つの「意図的」であるものとは、
そうする目的がある、
届けたい相手がいる
ことであり、
そのための表現であると思っています。

少しややこしいですね笑。

人は不安からの見栄を張りたい気持ちは常にありますが、
でもその不安や心配なども当然のものとして受け入れ、考える必要性を整理し、自分を確立させられるか。
それができて初めてできるようになるのが「意図的な見え」だと思うのです。


「見え」には「見栄」と「見得」があり、
「見得」は歌舞伎での決めポーズを一般的には言うようです。

観客を想っての表現であり、注目してくれ!と目的を持って意図的にやってますよね。
目の前の、その人のために、
自分の役割を表現している」のです。

意図的な表現としてはこの「見得」に近いのかなと思いますが、
でも、
「自分の役割を意図的に表現する」は「演じる」のとはちょっと違う。

その場だけでなく、日常からそこに自分を限りなく近づけていく努力が必要です。

目の前の人のために表現するなら、影響を与えていきたいのならば、日常から、自分がそこにふさわしい行動、思考、言葉を意識的に習慣にしていく。

意図的な表現を、
「自分自身」にしていかなければならない。

ギャップを埋める努力を
日々していかなければならない。

達成すべき「見え」を
意図的に表現していくことで、大きな自己成長にも繋がっていく。

そんな風に思うのです^^

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生きていく上で、不安や心配は付き物。
でも、それは人間として生存していくために備え付けられたアラート機能であり、

そんな風に危機を正常に察知してくれた自分に感謝して。

「ありがとう、大丈夫だよ」と自分に言ってあげられるか。


不安や心配のほとんどは
「過去」や「未来」のことです。

今、考えて変わることなのか、変わらないことなのか。
考えても変わらないことに、脳と心をパワーを無駄遣いしないことが大事ですね。^^




本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^

noteも少しづつ更新していきます。
ではまた!★

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飯田千秋 / MCS認定 メンタルコーチ

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