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無は有、有は無

神職なので禅僧では無いのだけれど、禅問答には惹かれるところがある。
仏教には「どちらでもない、どちらでもある」みたいな話があって、それは僕たちを解答の無い思索の旅に誘ってくれる。

このニュースは、「ハンディキャップを負っていると考えられがちな視覚障がい者に、いわゆる健常者より秀でたチカラがあり、そのチカラを発揮できる場がある」ことを紹介している。そのニュース自体にも、何だか嬉しいものを感じる。

ただ、それと同時に個人的に気になったのが事業所を開設した方の一言。

「利用者は視力がない分、音に対する集中力がある」

視力が「ない」ことは、音に対する集中力が「ある」ことでもあるのだ。
無いことや欠損に目が行きがちな僕たちだけど、そこには有ることが隠れている。これは残されたものに目を向けることとは違うことに注意したい(残されたものに目を向けることが重要であることは言わずもがなだ)。何かが無いということは、そこに突出した何かも有るということなのだろう。

二重の意味で、有るものに目を向けるべきだろう。

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