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あえて「簡単な本」を選ぶようになった話
学術論文を書く際には、参考文献は原典をあたることが基本。
つまり、ある情報を自分の意見の論拠として引用するには、その情報が一番最初に世の中に開示された出どころを正しく明記しなければなりません。
原典に遡ることなく、そのまま更に引用することを「孫引き」といい、入手困難など、やむを得ない事情がない限りは避けられることとされています。
大学でレポートや論文を書いている人、経験した人にはごく当たり前のことだと思います。
では、普段読んでいるニュースや本に溢れる様々な情報を見聞きする時、その情報がどこからきたのか、考えているでしょうか?
よほど意識しない限り、日常的にはあまり考えていないのではないかと思います。もちろん、毎回情報の出どころを確認していては、時間がいくらあっても足りません。
だからこそ、信用の足るメディアから情報を得ること、そして、そこから得た情報も鵜呑みにしないこと。現代社会におけるメディアリテラシーのスタートラインです。
メディアリテラシー
:次の3つを構成要素とする、複合的な能力のこと。
メディアを主体的に読み解く能力。
メディアにアクセスし、活用する能力。
メディアを通じコミュニケーションする能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ) コミュニケーション能力。
(総務省HP 放送分野におけるメディアリテラシーより引用)
さて、今日書きたいのは、「メディアリテラシーを身につけよう!!」ということではなく、「メディアリテラシーを身につけた上で、簡単な本を読みませんか?!」というお話です。
私自身、大学生のころからの癖で、ある分野の入門書などの簡単な本を読んだとしても、そこに書いてある参考文献まで遡らないと何だか気が済まなくなっていました。でも、正直そこまで時間もないし、知識もない。
入門書を読みながら、参考文献を図書館の蔵書やAmazonで検索する。
手元に参考文献がくる。
難しくて途中で諦める・・・
恥ずかしながら、そんなことを何度も繰り返してきました。
そもそも新しいことを知りたいのに、これでは前に進むものも進まなくなってしまう。
どうしたら良いものかと考えていた時にふと思いました。
「入門書って、膨大な情報を毎日のように捌いてきた専門家が、必要最低限の知識と、理解を深めるためのエッセンスを凝縮した素晴らしいものなのでは?!」
当たり前のことかもしれませんが、入門書は通過点にしか思っていなかった私にとっては、大きな発想の転換でした。
もちろん入門書だけで全てを知ることはできませんし、深く知るためには正攻法で参考文献を丁寧に当たっていくべきだと思います。
ただ、少しでも新しいことを学んだ後は、自分が見る世界は確実に変わります。
毎日が目まぐるしく変化する世の中で、目の前の仕事をこなしながら、理想と現実の間で揺れ動く私たち。
何かを知りたくても、全てを知ることはどうしたってできません。
だからこそ、できること・できないことをもっと柔軟な気持ちで受け入れながら、簡単な本だとしても、少しでもアップデートしようとする自分を認めてあげてもいいのかなと、最近感じています。
ちなみに、私は子ども向けの本にもよく目を通します。
児童書でも絵本でも、大人向けの本よりよほど核心をついていると感じることも。
なにも難しい専門書を読むことばかりが正しいわけではありません。
なぜそれを学ぶのか?自分のライフスタイルにどう生かすのか?
そこが大事であって、何かを学ぶ上で、読む本の価値は必ずしも内容が「簡単<難しい 」ではないと思うのです。
ただ、繰り返しにはなりますが、やはりメディアリテラシーは大事!
その意味で、メディアリテラシーの入門書を紹介して終わりたいと思います。(少し古いですが)
【今日の一冊】
『池上彰のメディア・リテラシー入門』池上彰 オクムラ書店 2008年
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Akari Miyama
OKUYUKI という屋号のもと今春ライフスタイルコーディネーターとして出発しました*・゚* before>書店 図書館 出版社 日々当たり前に受け入れている物事の背景、そこに潜む課題に少しの関心や好奇心を持ち「知ろうとすること」を大切にするライフスタイルを発信しています!
**思いの丈はこちらの記事に書いております**
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