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妊活日記―夫の決意と妻の恐怖

2023/6/12(月):夫婦の妊活日記㉝
※この記事は私たち夫婦の不妊治療、妊娠、流産の日々を振り返って書いた記事です。
 この投稿を書いている現在、私にはまだ子どもはおらず夫婦で不妊治療に奮闘中です。いつかこのページの冒頭に「現在子育て中!」と書ける日を夢見ております。


 初めての我が子の供養のため、夫婦で近くの中山寺さんにお邪魔した日。
 本来なら元気に生まれた子の為に買うはずだったミルクと肌着をお供えに持参して、恨みがましく見上げたくなるほどの快晴のなか参拝しました。

 あらかじめ予約していたので、受付で名前を告げ、赤ちゃんへのお供えも担当の方にお渡しして用意された席に移動して待っていると、後からもう一組の夫婦が入って来られました。
 そのご夫婦の奥さんのお腹はとても大きく、旦那さんが奥さんを気遣って座席に座るのも手伝っていて…自分の空っぽのお腹がたまらなく寂しくて、ちょっと恨めしく思えました。

 受付時間から祈祷が始まるまでには時間があり、夫が私が握りしめているものに目をやりました。
 その日、私は気持ちに区切りをつけるためもあって、流産してしまった我が子のエコー写真を貼った妊娠記録のノートを持参していました。
 夫は、私がそのようなノートを付けているのは知っていたものの、私が書いた文章や記録内容については見たことがなかったのですが、
「ちょっとそれ見せて」
と手を伸ばしてきました。

 妊娠が分かった時の気持ちや夫へ伝えた時の反応、医師の言葉や診察の感想、不安…なんでも書き残していたノート。夫は黙ってじっと目を通していました。

 住職の方が入って来られると、夫は私の手元にノートを戻し祈祷が始まりました。
 始まってしまうと涙は止まらず、何だか「自分の子どもが念仏を唱えられる」という事実が苦しく、怖く、そして何より悲しくて仕方がありませんでした。自分のお腹にいた子が、念仏の反対側に離れていってしまう…そんな悲しみ、一人であの世に送り出してしまう自分も一緒に言ってやれない無力感と申し訳なさが押し寄せてきて涙をこらえることなんてできなかった…
 久しぶりに我が子を失ったことに向き合い、涙を流した時間になりました。

 祈祷を終え、幸せそうな家族たちを尻目に駐車場に向かった時、夫から一つの提案がされました。
「ノートを見て、ほんまにイク(私)が子どもを欲しかったんやって分かった。ちゃんと考えるから、夜、もう一度子どものことを話し合おう」

 正直、
「何で今更?」
「あんなに泣いて訴えたのに伝わっていなかったの?」
というのが本音の感想でした。
 あれだけ声を荒げて辛い、死にたいと懇願したこともあったのに…

 きっと私が綴っていた喜びや悲しみをやっと俯瞰して冷静に見られるようになっていたのではないかと思います。私が怒ったり夫を責めたりしている間は、私の訴えに心を傾ける気持ちの余裕はなかったのでしょう。(実際、怒った私は大分怖くてしつこくて、攻撃的なのです。夫をパニックに陥れるほどに…)
 
 少し心に引っ掛かりは感じたものの、
「夫が夫なりに考えてくれたのだから、話し合いは冷静に話を聞こう」
と思い、二人で話し合う時間を決めました。

 そして夫はその後、友達との約束の為外出して行きました。

 この話し合いの約束がまた、一つのケンカの火種になることになるのです。
 このときはまだまだ夫婦としてお互いいろいろへたくそだったのです。

今日はここまで!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
私たち夫婦は今日も平和に不妊治療をがんばっています。
スキ!など、元気が出ます。

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