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おっさんの人権が無さすぎる件

先立って下記のような投稿が話題になりました。定期的におっさんを一方的に殴る話題は盛り上がりを見せます。

先の就職氷河期世代の話でも触れましたが、人はいないというものの、おっさんは拒否される傾向にあります。

私もおっさんですが、40歳を越えると本人は年齢が一歳増えただけにしか思えないものの、世間的な風当たりの強さを感じます。

おばさんであっても風当たりは強いものの、ジェンダーの問題があるため否定する側にもリスクが発生します。おっさんだと特に擁護する一団は存在しないため、殴りたい放題、殴られ放題の図式が存在しています。言わば安心して殴ることができる世間的な最下層に存在するのがおっさんです。

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Don't trust over 自分より年上

おっさんを叩く行為自体はいつから顕著になってきたのでしょうか。類似の文脈で使われるネガティブな言葉として老害がありますが、言葉の手帳によると比較的新しい言葉であり、2000年代に広がっていったとされています。

「老害」は比較的に新しい言葉で、松本清張の長編小説「迷走地図」(1982年〜83年)には、「老害よ、即刻に去れ」という一文が含まれています。ネットスラングとしては、1990年代前半頃から一部の人達が掲示板などで、「老害」と書き込む事がありましたが、まだまだ少数でした。しかし、2000年代に入ると一気に広がり、そこには格差社会や高齢化の広がり、非正規や不況、そしてネット普及が影響しています。

言葉の手帳

現在の60代の人たちが30代だった頃、インターネットのインフラ界隈で活躍していた方々が発していた言葉の一つが「Don't Trust over 40」でした。インターネットの歴史は法整備とも密接に関わっていたため制度を作った上の人たちを疎ましく思っていた側面もあるでしょう。

時を重ね、彼らが40代に差し掛かると「Don't Trust over 50」になり、50代に差し掛かると「Don't Trust over 60」になり、60代に差し掛かったところで何も言わなくなりました。

昔から若い人たちが叩いているのは特定の年代を指しているのではなく、「Don't trust over 自分より年上」という要素も大きいのではないかと考えています。

時折「同期や後輩とは話せるが先輩とは緊張して話せない」という方にお会いします。ある方の場合、掘り下げていくと中学時代の先輩との関係が非常に良くなく、それを引きずっていました。上下関係の拗らせもまた、おっさん叩きに繋がっていきます。

三宜楼に見る往年のおっさん

先日門司に旅に行ってきた際のお話です。今でこそ門司港レトロなどと呼ばれていますが日露戦争などで好景気に見舞われ、港町である門司港は栄華を極めました。今でも古い建物が残っており、見応えがあります。

昔から残っている建造物の一つが三宜楼です。昭和6年に建てられた高級料亭で、社交場として賑わっていたそうです。出光興産創業者の出光佐三や俳人・高浜虚子などが常連だったようです。特に出光氏の写真はたくさん飾られているのですが、芸者衆との集合写真が並び、圧倒的な財力を感じます。

おっさんの話に戻ると、往年のおっさんは疎まれる対象ではあったでしょうが、「その声を気にしないだけのお金」があることによって正気を保っていたのではないかと考えています。

事情の異なる一般的な就職氷河期世代おっさん

おっさん叩きの風潮ですが、事情は変化しているように感じられます。

往年のおっさんには一億総中流だったことに加え。年功序列のためにそれなりの肩書きと給与が連動する人達が多く見られました。そのため若手から叩かれても違う観点で溜飲を下げることはできたのではないかと思います。

しかしここに来て就職氷河期世代というお金もなく、ギラギラもしていない人たちの「おっさんカテゴリー入り」が起きました。私ももう一息で出られなくなりそうでしたが、特に「非正規おっさん」は前の世代に比べると地位もお金も無いのでただただ踏まれるだけになります。これまでのおっさんと同様に叩くと行き場を失った怒りが大きな事件に発展していくのではないかとも感じています。

次に来る「責任取りたくないおっさん」と、態度変容のススメ

おっさんもかつては若い時代がありました。時の流れは非常に早いです。生きてさえいれば年を取るし、ジャネーの法則に言われるように体感は早いです。

日本の風潮として若さには寛容で、年を取るとリニアに厳しくなります。今の若手世代に見られる傾向が、更に下の世代に踏まれるようになった時に氷河期世代とは別の辛さが出てくるのではないかと思えてなりません。

一つは出世したくないおっさんです。新学力観の導入に伴い、個性尊重教育が1992年に始まりました。このnoteでも度々触れていますが、楽天オーネットの調べによると「入社したからには出世したい」という回答が半分以下になっています。結果としてリーダーを打診したら退職を願い出るケースもあるほどです。

・「会社の中では出世したい」
   62.0% (2006)
   35.8% (2008)
   32.9% (2010)
   25.7% (2015)

楽天オーネット新成人意識調査

もう一つは進んで沈殿しているおっさんです。出世したくないだけでなく、残業も全くしたくないだけでなく、昇給もしたくない人達です。

いずれも下が居ないうちは問題ないように思いますが、いつまでもその業務が同じ職位で続けられるのかは未知です。若手が来た時に「ほぼ同列にいるおっさん」扱いされるリスクについては勘案しておくべきでしょう。

「働かないおじさん」は終身雇用に甘んじている正社員を指して揶揄されています。しかし将来的には「キャリア初期からずっとジュニア層」という形に意味合いが変化していくのではないでしょうか。「働きたいけども求人がなかった」「労働条件が悪くて退場した」というのが就職氷河期世代おっさんだとすると、次のおっさん世代は「自主的に当該ポジションに留まった選択をした」という扱いになります。すっかり定着している自己責任論と相まって就職氷河期とは違う悲惨さになるのではないかと考えています。

おっさんに人権を、と言いたいところですがあまり響きそうな感じはしません。せめて「無闇に踏まないで」とはお伝えしたいところです。いつかの自分に返ってきます。


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