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なにげない日常を写真に残す意味

いつもの時間に目覚ましが鳴り響き、無意識にそれを止めている。
気づけば二度寝をしていて、すぐに家を出なければと慌てて支度をはじめる。

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いつも通りの朝、いつも通りの通勤路、いつも通りの職場、
いつも通りの同僚、いつも通りの会話、いつも通りの毎日。

知らず知らずのうちに同じ毎日を繰り返し
なんとなく月日が流れる、僕はそんな日々を過ごしていた。

そんな僕が写真と出会ったことで気づいたことがある。
それはいつも通りの毎日でも、小さな幸せが沢山あるということです。

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社会人2年目の春。
暖かな陽気につつまれた青い空を桃色の花びらが舞う。
そんな景色を見ながらふと思ったんです。

「キレイだな」って。

ほんの些細なことだけど、これに気づけた自分ってラッキーだし
「シアワセだなぁ」って感じました。

そして、同じような毎日を過ごしているけど気づかないだけで、
自分の周りは小さな幸せがあるんじゃなか?って思うようになりました。

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写真を始めた頃は絶景ばかりを撮っていました。
いわゆる「映える写真」というのを追い求めていました。

ただそれって、何の為に撮っているのか?と冷静に考えた時に
僕の中ではSNSで「RTやいいね」が欲しいという理由が真っ先に出ました。

本当に自分が撮りたい写真なのか?
何の為に撮り続けているのか?

そう問いかけた時に出てきた答えは
「なにげない日常が好き」でした。

「家族とのなにげない日常」

「恋人とのなにげない日常」

「なにげない日常を残していて良かったと感じた出来事」

僕は自分の過ごしている日常のなかで感じた
「シアワセだな」「キレイだな」「スキだな」と思う瞬間に
シャッターを切っています。

「なにげない日常」は自分の生きた世界そのもの。

その写真は自分が生きた、かけがいのない時間が確かに写っている。
そこには小さな幸せが溢れていて、見るたびに優しい気持ちになれる。

僕の家にはアルバムがあります。
そこに丁寧にまとめられた写真はどんな思いでまとめられたのか。

僕が知らない人も写っているけど、確かに自分のルーツとなった人。
その人が生きた時代があるからこそ、自分は今の時代を生きている。

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写真はひとりひとりの歴史の教科書になると思っています。
それは家で撮る写真にはその人の素の姿が写っているから。

住み慣れたおちついた空間。
そこでの暮らしは、ひとりひとりに特徴があります。
自分なりのルーティン、好きな場所、好きなことなどなど...
みんなバラバラのことをしているけど、どこか繋がっているんだよね。

その繋がりはとてつもなく深くて強い。
それが「かぞく」なんだなって感じています。

「何気ない日常」こそ積極的に残していきたい。
その想いを胸に今日も写真を撮っています。

SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / 日々の日常と友人や恋人を中心に写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画 / 地元のPR活動を行なっている。
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