写真を撮ってもらいたい人いますか?
写真が趣味になると撮ることばかりで、撮られることは少ない。友達や恋人、家族と出かけた時に残る写真は自分が見ていた世界たち。そこには自分の真向かいにいる大切な人たちで溢れていて、見返しながら心がじんわりと温もりのを感じる。
そして自分の写真が少ないことに寂しさを覚える。この話の中に入りたいな、この人たちと横に並んで写りたいな、そんな思いが後々込み上げてくる時もしばしば。
写真は鏡だと言われる。自分の内面が写真に写り込むとされ、その時によって写真は変化してゆく生き物のような感じだ。以前書いたnote「遺影は必要になった時には遅いかもしれない」で触れているが、誰に撮ってもらうかは大切な要素に思える。
このnoteを書いた後に「自分は誰に撮ってもらいたいのだろう?」と考えてみた。1人には絞りきれないが愛する人々という結論に一旦落ち着いている。それは1枚の写真を振り返った時にそう感じた。
弟と一緒に父親が撮ってくれた写真。この日は父にカメラを渡して撮ってもらった。何年振りか分からないほど久々で子どもの頃の記憶が蘇ってきた。兄弟の関係性が伝わってくる温かくて良い写真。これは父だからこそ撮れる写真だと思う。少し気恥ずかしいけれども、父らしい声掛けや距離感、シャッターを切るタイミング。その全てがその空間を彩りこの写真に写っている。カメラに隠れた父の表情も自分達と同じ出会ったのを覚えている。
誰に撮ってもらいたいか?
今年の目標がひとつできた。それは撮ってもらいたい人たちに自分の写真を撮ってもらうこと。カメラを渡して自分を撮ってもらう。完璧でなくていい、何も綺麗な写真は求めていない。カメラを通して生まれるその人とのコミュニケーション。そこから生まれる写真とそこに写る自分はどんな姿なのだろうか。きっとどれも違ったものになる。けれど想像がつかないほどワクワクしている。
家族、友人など自分が大好きな人たちに撮ってもらう自分の写真はどれも宝物になるだろう。その人との関わりを改めて見つめ直すための機会であると考えている。どんな結果になるのかは分からないが、それについても追々書き記そうと思う。
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