おもてなしを学ぶ/株式会社KICKs

株式会社KICKsは、京都大学観光MBAメンバーを中心とした観光戦略デザインファームで…

おもてなしを学ぶ/株式会社KICKs

株式会社KICKsは、京都大学観光MBAメンバーを中心とした観光戦略デザインファームです。 有名老舗旅館に伝わる「おもてなし虎の巻」を紐解き、おもてなしを学ぶ様子をnoteでは公開しています。 HP: https://kanko-innovation.com/

マガジン

  • 茶の「おもてなし」

    茶の「おもてなし」に関する記事をまとめています。お茶をより深く楽しむために、少し学んでみませんか?

  • 金沢まち歩きが楽しくなる「おもてなし」

    金沢まち歩きに関する「おもてなし」をまとめています。 少し変わった角度から、金沢について学んでみませんか。

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お茶の「おもてなし」

第一章:お茶の種類と歴史日本茶は、その豊かな歴史と多様な種類で知られています。煎茶、玉露、抹茶、番茶、玄米茶、釜炒り茶など、それぞれが独自の製法と特徴を持っています。煎茶は摘んだ茶葉をすぐに蒸して発酵を止め、手で揉んで撚りをかけた茶です。深蒸し茶は煎茶の一種で、蒸す時間が長いため、味や色が濃く出るのが特徴です。玉露は新芽を日光から遮り、1ヶ月ほど育てた茶葉から作られ、その名は製造業者「山本山」が江戸時代に出した商品名に由来します。 抹茶は碾茶を石臼でひいて粉末にしたもので、

    • 九谷焼の「おもてなし」

      第1章: 九谷焼の歴史とその魅力九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市・小松市・加賀市・能美市で生産される色絵磁器であり、その歴史と美しさは世界中で高く評価されています。九谷焼の始まりは、江戸時代の初期(1655年頃)に遡ります。加賀藩の殖産政策の一環として、大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で生産が開始されました。良質な陶石が発見され、後藤才次郎が有田で技術を学び、帰藩後に始められましたが、約50年後には廃窯となります。この初期の九谷焼は「古九谷(こくたに)」

      • 能登・金沢工芸の歴史と「おもてなし」

        第1章: 江戸時代以前の工芸能登・金沢地域における工芸の歴史は、須恵器の生産活動に始まります。加賀地方では、小松市南部の広陵地帯に須恵器の古窯跡群が存在し、八世紀には「一国一窯」の形を取っていたことを示しています。しかし、十一世紀に律令制が崩壊し、地方権力者の庇護を失うとともに、須恵器の生産活動は次第に衰退していきました。 十二世紀になると、愛知県猿投地方で確立された瓷(じ)器生産の施柚技法が導入され、中世古窯が新たに成立しました。能登地方では、珠洲から内浦へかけての地域に

        • 和紙・手紙の「おもてなし」

          第1章:和紙の種類と魅力和紙は、日本の伝統的な手漉き紙で、その種類や用途に応じてさまざまな特徴があります。手紙を包む紙として、和紙を使うことは、その手紙に込められた思いやりや丁寧さを一層引き立てます。 檀紙(だんし) 檀紙は、厚手で白く、縮緬のようなシボが特徴です。この紙は、古くから公家によって用いられてきました。重要な手紙や丁寧さを求められる場合に使われることが多く、その存在感と重厚感が、受け取る側に特別な思いを伝えます。 奉書(ほうしょ) 奉書は、最も広く使われる

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        • 茶の「おもてなし」
          7本
        • 金沢まち歩きが楽しくなる「おもてなし」
          6本

        記事

          組香の「おもてなし」 -様々な組香の世界編-

          第一章: 香木の魅力と伝統香木の世界は、その香りだけでなく、香木を扱う際の作法や道具に至るまで、長い歴史と深い文化が息づいています。香元は香筵で香を聞く前に、香木を細かく切り分けて香包に入れておきます。伝統的な香筵は「初座」と「後座」に分かれ、初座では香を割るお手前を披露するのが習わしですが、近年では省略されることも多いようです。 香木はごく少量で使用され、昔は切った香木の小片に鍋墨や百草霜を使って染め、外観だけでは見分けがつかない工夫がされていました。現在流通している香木

          組香の「おもてなし」 -様々な組香の世界編-

          仏教言葉の「おもてなし」

          第1章:言葉の源流 仏教の教えが日本文化に深く根付いていることは、日常の言葉に現れています。例えば「挨拶」という言葉は、「挨」は「押す」、「拶」は「迫る」を意味し、もともとは前にある物を押しのけて前に進むことを示していました。現代では、心を開いて他者に寄り添うことを表します。この変遷は、仏教の教えが時代と共に日本の生活文化にどのように浸透してきたかを物語っています。 また、「会釈」という言葉は、仏教用語の「和会通釈」から派生し、互いに矛盾しているように思える教義を照らし合

          仏教言葉の「おもてなし」

          七夕の「おもてなし」

          たなばたの伝統 七夕という日は、日本の伝統的な行事の一つであり、その由来は古代からの神話や風習にさかのぼります。古代の人々は、七夕の日を星に願いをかけ、不浄なものを洗い清める重要な日と捉えていました。特に、たなばたという概念は、水神を迎えるための棚を用意し、美しい神衣を織るという古い神話に由来しています。また、七夕はお盆の前の禊の行事として位置付けられ、身を清めるための儀式も含まれています。かつては、七夕の日には水辺で遊び、道路や溝を直す習慣がありました。現在でも、七夕に精

          四季の茶花の「おもてなし」

          第一章:春の茶花1.1 元旦の茶花 春の始まりを祝う元旦には、椿と突羽根を用います。椿はつばき科の常緑高木で、赤、白、薄紅など多彩な花色を持ち、一重咲きから八重咲きまであります。艶やかな葉に照り映える椿の花は、新年の華やかさを象徴するのにふさわしい花材です。突羽根はビャクダン科の落葉低木で、正月の空に舞う追羽根を思わせる姿から「羽子木」とも呼ばれ、正月の茶席にぴったりの花材です。 1.2 小寒の茶花 小寒には、梅の楉(ずわえ)と妙蓮寺椿を飾ります。梅はバラ科の落葉高木で

          四季の茶花の「おもてなし」

          茶の歴史と文化と「おもてなし」-室町時代後期から近代

          はじめに 日本文化の象徴である「茶の湯」は、室町時代後期から現代に至るまで、多くの変遷を経て発展してきました。その変遷は、日本人の「おもてなし」の心と深く結びついており、時代ごとの社会状況や人々の価値観を反映しています。本エッセイでは、室町時代後期から現代に至るまでの茶の湯の発展を四つの章に分けて考察し、その文化的意義と現代における「おもてなし」の精神について探ります。 第一章:わび茶への道(室町時代後期) 珠光から紹鷗へ 茶の湯が精神面を重視するようになったのは、

          茶の歴史と文化と「おもてなし」-室町時代後期から近代

          能登まち歩きの「おもてなし」-七尾市編-

          はじめに 七尾市は石川県能登半島の中心部に位置し、その魅力は歴史的な建物、豊かな自然、美味しい食文化、そして地元の人々の温かいおもてなしにあります。そんな七尾市内の魅力的なスポットを四章に分けて紹介します。 第1章: 高澤ローソク - 和の灯りに込められた温もり 七尾駅から徒歩5分、御祓川沿いを進むと、紅い欄干の橋が見えてきます。この橋は、七尾のシンボル的な商店街、一本杉通りの入口を示しています。ここに、1892年創業の和ローソク専門店、高澤ローソクがあります。 高澤

          能登まち歩きの「おもてなし」-七尾市編-

          能登まち歩きの「おもてなし」-寺社・祭り編-

          はじめに日本海に突き出た能登半島は、豊かな自然と長い歴史、そして深い文化に彩られた地です。この土地には、禅の修行道場として名高い大本山總持寺祖院、日蓮宗の本山として多くの文化財を誇る妙成寺、平家物語に由来する旧家、そして華やかなキリコ祭りといった、多様な魅力が詰まっています。また、古来から伝わる製塩法である揚げ浜式が復活し、その塩が全国的に高い評価を受けるなど、能登の伝統は今も息づいています。 このエッセイでは、能登の代表的な寺社や旧家、祭り、そして伝統産業にスポットを当て

          能登まち歩きの「おもてなし」-寺社・祭り編-

          供物や熨斗の「おもてなし」

          第1章:供物の心得供物は、故人への敬意と感謝の気持ちを示す大切な行為です。適切なタイミングで、相応しいものを贈ることが、真心を伝える基本となります。 タイミングと手配 供物は、通夜の前日までに届くよう手配し、葬儀当日には遺族に渡すことが基本です。通夜の供物は午前中まで、葬儀の供物は前日中に手配します。購入時には必ず弔事用であることを伝え、適切な水引や表書きを用意してもらいます。届ける際には、遺族や受付係に渡し、勝手に祭壇や霊前に供えるのは避けましょう。 供物の種類

          供物や熨斗の「おもてなし」

          金沢まち歩きの「おもてなし」 -工芸編-

          第一章: 金沢の工芸の歴史金沢の伝統工芸は、加賀藩の歴代藩主が文化政策に力を注いだことから始まります。加賀藩は、各地から優れた名工を招き、漆器や染色などの技術を金沢の地に根付かせました。この歴史的背景は、金沢の工芸が日本有数の高品質なものとなった理由の一つです。 第二章: 蒔絵の装飾が映える「金沢漆器」金沢漆器の技術は、加賀藩3代藩主前田利常が京都から名工・五十嵐道甫を招いたことから発展しました。漆器は茶道具を中心に、日常使いの食器や調度品まで幅広く制作されており、その美し

          金沢まち歩きの「おもてなし」 -工芸編-

          石川の風土と「おもてなし」

          1. 加賀・能登の風土や工芸を知る石川県は加賀と能登という二つの地域から成り、その風土が独自の文化と工芸を育んできました。特に、輪島塗や九谷焼、加賀友禅などは、日本国内外で高く評価されています。これらの工芸品が生まれる背景には、石川の特有な風土が大きく関与しています。 例えば、木曾漆器の産地である平沢の職人が、「技術では引けを取らないが、デザイン感覚では輪島にはかなわない」と語っています。彼らは一部の高級品を輪島に送り、仕上げを頼んでいると言います。石川の風土が持つデザイ

          石川の風土と「おもてなし」

          江戸の「おもてなし」

          第1章:日本人のおもてなしの心江戸時代、東京(当時の江戸)は日本の中心地として、多くの人々が暮らし、交流する場所でした。その中で育まれたのが「江戸しぐさ」という、おもてなしの心を象徴する文化です。江戸しぐさは、江戸の庶民が互いに気持ち良く暮らすために生まれた、細やかな心遣いや気配りの習慣です。江戸っ子とは進歩的な人間主義者で、和を重んじ、誰とでも付き合い、新人をいびらず、権力にこびず、人の非を突く時は下を責めず上を突く、外を飾らず中身を濃く、といった思想を持っています。こうし

          輪島塗の「おもてなし」

          第一章: 輪島塗の特徴輪島塗とは、石川県能登半島の輪島で生産される漆器のことを指します。輪島塗はその丈夫さと美しさで知られており、長い歴史の中で培われた技術と工法によって、他の漆器とは一線を画しています。 材料と製法 輪島塗の製作には、生漆と米糊を混ぜたものを厚手の木地に貼り付け、その上に焼成珪藻土を混ぜた下地を何層にも施す「布着せ」技法が使われます。この方法により、輪島塗は非常に強固で耐久性が高い仕上がりとなります。また、上塗りには精製漆を使用し、沈金や蒔絵といった加