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能登まち歩きの「おもてなし」-寺社・祭り編-

はじめに

日本海に突き出た能登半島は、豊かな自然と長い歴史、そして深い文化に彩られた地です。この土地には、禅の修行道場として名高い大本山總持寺祖院、日蓮宗の本山として多くの文化財を誇る妙成寺、平家物語に由来する旧家、そして華やかなキリコ祭りといった、多様な魅力が詰まっています。また、古来から伝わる製塩法である揚げ浜式が復活し、その塩が全国的に高い評価を受けるなど、能登の伝統は今も息づいています。

このエッセイでは、能登の代表的な寺社や旧家、祭り、そして伝統産業にスポットを当て、その魅力を四章にわたってご紹介します。それぞれの場所や出来事に込められた歴史や人々の思いに触れ、能登ならではのおもてなしの心を感じていただければと思います。

第一章: 能登の禅林、大本山總持寺祖院

能登半島に位置する大本山總持寺祖院は、禅宗の修行道場として名高い。元亮元年(1321)に創建され、瑩山招瑾禅師が開祖を務めたこの寺院は、かつて全国に16000を超える末寺を持つ大本山として隆盛を極めた。総持寺祖院は、明治31年(1898)の大火で神奈川県横浜市鶴見に本山を移転し、祖院となったが、現在でもその威厳と風格を保っている。
境内には古木や山水が調和し、美しい庭園が広がる。その中にある建物は、かつての大本山としての風格を漂わせ、訪れる人々を迎えている。総持寺祖院は、規律の厳しい禅寺としても知られており、全国から集まる修行僧(雲水)が厳密な作法に従って禅の修行を行っている。
瑩山招瑾禅師のゆかりの寺院として、永光寺や豊財院も能登各地に存在し、これらの寺院は、禅の教えを広め、名だたる名僧を輩出してきた。

第二章: 多くの文化財を擁する妙成寺

能登の妙成寺は、日蓮宗の本山として知られ、前田家の寄進を受けて隆盛を極めた。三代目藩主前田利常の母・寿福院の菩提寺として建立されたこの寺院は、北陸随一の五重塔を含む10の重要文化財を有する。その中でも、妙成寺の特徴的な「三堂横並び」は、本堂を中央に、左右に三光堂と祖師堂が横一列に並ぶ形式で、近世以前の日蓮宗の寺院の様式を今に伝えている。
能登は浄土真宗が盛んで、寺院も多い。その中でも最大規模を誇るのが阿岸本誓寺であり、藩政時代には前田家の重要な役割を担っていた。

第三章: 能登の旧家

能登には歴史的な旧家が多く存在し、特に平家物語ゆかりの時国家はその代表例である。壇ノ浦の戦いに敗れた平時忠の子・時国を初代とする時国家は、江戸時代に上時国家と下時国家に分かれ、製塩や北前船交易で繁栄した。本造茅葺民家である時国家の「大納言の間」や家紋「丸に揚羽蝶」は平家の由緒を示す。
また、北前船寄港地として栄えた輪島市黒島地区の角海家は、廻船問屋として栄え、最盛期には7隻の北前船を所有していた。能登には、豪農の暮らしぶりを示す大きな屋敷も多く、幕府直轄の天領庄屋や加賀藩の十村役庄屋が存在感を示している。

第四章: キリコ祭りと奥能登の塩づくり

能登は「祭りの国」として知られ、特に「キリコ祭り」は地域の夏祭りの主役である。江戸時代に起源を持つこの祭りは、祇園祭りや夏越しの神事に由来し、約200の地区で行われている。キリコ祭りのカレンダーには、7月から9月にかけて多くの祭りがあり、能登の各地で賑わいを見せる。
一方、奥能登の塩づくりは、古来から伝わる「揚げ浜式」による製塩法が復興し、珠洲で唯一残ったこの方法で作られる塩は、そのまろやかで旨味のある味わいから全国で高い評価を得ている。
能登の寺社や祭り、そして歴史的な旧家や伝統的な塩づくりは、地域の文化とおもてなしの心を現代に伝えている。それぞれが独自の歴史と風格を持ち、訪れる人々に深い感動を与える。能登の地で感じるおもてなしは、まさに日本の伝統文化の真髄と言えるだろう。

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