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【話題のミステリー最新作】由野寿和氏の著書『再愛なる聖槍』 Kindle版が1月31日より発売!

2022年12月7日、幻冬舎より出版されたミステリー小説『再愛なる聖槍』が1月31日より電子書籍が販売。観覧車がジャックされるという前代未聞の小説、どんな内容なのか詳細をご紹介します。



『再愛なる聖槍』は、新人作家・由野寿和(ゆうやとしお)氏の処女作として2022年12月7日に幻冬舎より出版された話題のミステリー小説。 現代日本を舞台にした長編の警察ミステリーとなっており、クリスマスイブの遊園地を舞台に、伏線の張り巡らされた緻密かつ骨太なストーリーが繰り広げられています。 作者・由野寿和氏によるデビュー作品ですが、新人らしからぬ文体で、読みながら映像が目に浮かぶような、きわめて写実的な描写が魅力的。 上質なミステリー小説を読みたい方や、現代物の警察小説に挑戦したい方には、自信を持っておすすめできる一冊となっています。

『再愛なる聖槍』は、現代日本を舞台にした長編の警察ミステリである。クリスマス・イブの遊園地を舞台に、伏線の張り巡らされた緻密かつ骨太なストーリーが繰り広げられる。上質なミステリを読みたい方や、現代物の警察小説に挑戦したい方には、自信を持っておすすめできる一冊だ。

作者の由野寿和(ゆうや・としお)は、今作がデビュー作品となる。新人らしからぬ貫ろくのある文体で、読みながら映像が目に浮かぶような、きわめて写実的な描写が魅力的だ。ドラマや映画になった本作を、ぜひ鑑賞したいと思わせる。

本作の主人公は、元刑事・仲山秀夫。5年前に起きた「ある事件」をきっかけに、警察の職を辞した中年男性だ。退職と同時期に、妻とは離婚。当時4歳だった娘とも別居となった。現在は、警備員のアルバイトなどをしながら細々と暮らしている。

物語は、仲山と、9歳になった娘とがテーマパーク「ドリームランド」を訪れるところから始まる。二人の目当ては、園内に最近新設された話題の観覧車「ドリームアイ」に乗ること。楽しい時間を過ごしていた二人だったが、観覧車に乗った直後、何者かによって観覧車が“ジャック”されてしまう。仲山とその娘を含め、観覧車に乗っていた12組の乗客は全員人質に取られてしまった。さらに、犯人からの声明後すぐに、ゴンドラの一つが落下。そのゴンドラに乗っていた客は死亡が確認される。
犯人の狙いは何なのか、残りの乗客たちは助かるのか。そして、巨大観覧車に隠された驚がくの真実とは———。愛娘を守るためにも、仲山は観覧車に閉じ込められた状態のまま、真相の解明に乗り出す。

観覧車に閉じ込められる、という特異な状況設定に興味をそそられて読み進める序盤から、5年前に起きた「ある事件」の詳細が断片的に語られ出す中盤、そしてクライマックスに至るまで、まさに息つく暇もないような怒とうの物語展開が続く。

本作のおもしろい点は、単に「観覧車ジャック犯は誰なのか?」という謎解きにとどまらないことだ。一つの謎が明らかになると、また別の謎が現れ……という畳みかけるようなストーリーには、ページをめくる手が止まらなくなってしまった。

登場人物全員の行動原理や心情にも丁寧な説明がなされており、読後の納得感も高い。そのうえで、一切の破綻や矛盾なく物語が練り上げられているため、著者の高い技術力を思い知らされる。
2回目を読み返しても「このシーンは伏線だったのか」と思える部分がいくつもあり、何度でも楽しめる作品になっているのだ。

この作品がミステリとして興味深いのは、探偵役である仲山の立ち位置である。観覧車の中に閉じ込められた状況で真相を解明するというのは、ミステリのジャンルとしては、いわゆる「安楽椅子探偵モノ(探偵が自分の足で情報を集めることはせず、与えられた情報のみを頼りに事件を推理するジャンル)」に分類されるだろう。

警察ミステリのジャンルでは、主人公である警察官が、現場での情報収集をベースに事態の解決を試みる作品が多い。しかし、本作で主人公が情報収集を行なうことは不可能。非常にオリジナリティあふれる状況設定だが、この2つがきれいに調和しているのは著者の手腕のなせる技だ。

さらに、通常の安楽椅子探偵モノには欠かせない、「探偵の手足となって情報を集める“忠実な助手”」が存在しないことも、仲山の推理をいっそう困難にする。作中で仲山に与えられる情報は、基本的には、観覧車から見える景色と、通話音声の情報のみだ。さらに、仲山との通話に応じるのは、彼に不信感を抱く元同僚の刑事や、遊園地でアルバイトをする学生、そして観覧車ジャック犯本人といった面々。どの人間も、“忠実な助手”からはほど遠いのである。通話相手の些細な一言や、観覧車周辺で起こったわずかな変化を頼りに、疑問符だらけだった状況が次々に解明されていくのはまさに「読む快感」。ぜひ読んで味わっていただきたい。

また、ストーリーを追うだけでもおもしろいが、推理しながら読むのもおすすめだ。作者の文体は、冗長なところがなく、非常にドライなもの。ノイズが少ないため、推理にも集中しやすい。

扱われるモチーフの文学性も魅力的だ。本書のタイトルは『再愛なる聖槍』だが、「聖槍」という単語はキリスト教の新約聖書が由来となっている。キリストが磔(はりつけ)にされて亡くなったのち、彼の死を確かめるために、処刑人がキリストの死体を槍で刺した……という逸話からきているそうだ。

作中では、その槍が「聖遺物」として扱われるようになった理由について見解が述べられている。本書によれば「それは、磔になった男がその場で生き返ったという奇跡ではない(p.3)」。つまり、槍が聖遺物として認定されたのは、別に、槍自体に聖性があったわけではない、というわけだ。そうではなく、その槍がキリストに「触れた」ことを、後世の人々は聖的であると評価したのである。

この逸話の処刑人のように、人はしばしば、自分にとって重要な人間を失ったときに愚かな行動を取ってしまうものだ。作中でも、多くの「愚かな」人間たちが登場し、それこそ「死体を槍で刺す」ような行動を繰り返す。相手にとって自分はどのような人間だと認識されていたのか。自分たちの紡いできた物語にはどのような意味があったのか。そこに真実の愛はあったのか。そんなことを、何度も何度も問いかけてしまう———。そんな行動に、覚えのある人も多いことだろう。

もちろん、そんなことを確認したところで、現実は変わらない。場合によっては、余計に事態が悪くなってしまうことだってあるかもしれない。
しかし、本作はその行為を、無駄な行為だとか、愚かな行為だと簡単に断罪はしない。むしろ、登場人物の行動や心情を細やかに描いたうえで、一定の同情すら示してみせる。

考えてみれば、人が他者からの愛を確認したいと思うのは、ある意味では「聖なる」行為なのかもしれない。それは間違っているかもしれないし、愚かかもしれない。それでも、愛の対象に近づき、愛があった事実を確かめようとしてしまうのが「人間」という生き物なのだ。このような一見愚かな行為を、「聖槍」というポジティブなモチーフで語り直す。そこには作者の、人生に対する肯定感が現れているのではないだろうか。

シリアスな内容を扱ったミステリであるのにもかかわらず、読後が非常に爽やかなのは、このような作者の人生観が強く現れているのだろう。

テーマを補強するための舞台設定や小道具の使い方もうまい。
例えば、「愛の形」というテーマを扱う本作において、ジャックされるのが「観覧車」という乗り物であるのは非常に象徴的で意味深い。

通常「ジャック」といえば、飛行機や新幹線といった「行き先のある乗り物」が選ばれるものだろう。一方、本作の観覧車はといえば「行き先がないことそのもの」が目的の、極めて特殊な乗り物だ。正直なところ、ジャックには向いていない乗り物なのではないか……とすら思えてしまう。

ところが、観覧車を「愛情」のメタファーととらえたとき、このアトラクションの持つ意味合いは強烈だ。愛情も観覧車と同じく、本来は目的や行き着く先など存在しないものであり、日常が円環状に回っていくだけのものだ。例えば、親が子供のために行なう家事や育児は「円環状の日常」、そして「愛情そのもの」といえる。変化はなく、ただ毎日ひたすらに、同じことが続いていく。むしろ愛情の本質とは「変化のないこと」にこそあるのかもしれない、とすら思うのである。

しかし、ときおり人は、その愛情に「目的」や「行き先」を見いだそうとしてしまう。見た目が良いほうが好き、お金を稼いでくれるほうが好き、家事や育児をしてくれるほうが好き、人気者のほうが好き。「だから、そういう人間になってほしい」。言うなればそれは、己のエゴによって、他者の人生に道筋を与えようとする行為に他ならない。

仮に、そのエゴを他者に達成させたとしても、愛情のほうはどうだろうか。おそらくだが、道筋をつけろと強要された側の愛情は消えうせてしまうのではないだろうか。まるで、作中で描かれる、ゴンドラが落ちて崩壊する観覧車のように。

本作の登場人物たちが求める「愛」は、目的地を持ち崩壊してしまうのか、それとも元の円環に戻るのか。戻る人もいれば、戻らない人もいる。結末はぜひ、読んでお確かめいただきたい。

さて、「愛情」と対立するテーマとして本作で描かれているのが、あらゆる物事を「対岸の火事」として処理してしまう世間の人々の態度だ。
本作が出版された2022年は、長引くコロナ禍や円安を受けての不況もあり、これまで以上に、街から人々の余裕が失われた年でもある。道で困っている人を見かけても、余裕のなさや、トラブルに巻き込まれる不安から見て見ぬふりをしてしまう……。そんな「他人事」の態度を、一種の処世術として使う人も増えてきているようだ。本作は、そんな人々の態度に対して一定の理解を示しつつ、しかし、「対岸の火事」として見切られてしまった人々の悲哀や苦しみも同時に描く。

本来小説とは、「究極の対岸の火事」といってもいい。この作品を含め、小説の中で起こったことは、現実とは一切の関わりがない。我々は小説を読みながら「こんなことが実際に起こらなくてよかったね」と胸をなでおろす。しかし、本作のリアルかつ緻密な描写や丁寧な心情描写は、我々に、この本の出来事を他人事として消費させることを拒絶する。読了後、我々はわが身を振り返り「自分は困っている人のことを、対岸の火事だと見放してはいないだろうか」と考えこんでしまう。そして、次に誰かが困っていたときは、できる限りで優しくしてあげようか、という思いが湧いてくる。優れた小説とは、本書のように「読み終わっても、終わらない小説」、つまり、現実世界の私たちに影響をおよぼすような小説のことをいうのだろう———。

「愛情」、そして「無関心」という対立する二つのテーマを扱った本作。読み終えたあと、あなたは『再愛なる聖槍』という一見難解なタイトルの意味を理解し、その言葉の重みを痛感するはずだ。


■作品名:再愛なる聖槍
■著者:由野寿和(ゆうや としお)
■発売:幻冬舎
■出版年月日:2022/12/7
■電子書籍:2023/1/31
Amazonでの購入はこちらから
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