友達のレベルがお前のレベル?
「久しぶり!」
そう言って、遠方へ進学した友達と1年ぶりに再会した。
長期休暇で帰省していた彼女は相変わらず美人で元気そうだった。
私たちはドライブしながら高校の時の懐かしい話をした。
1時間近くドライブをして、スタバを飲んで、、と高校時代のお決まりのコースを辿って、そんなことにすら懐かしさを覚えた。
「てかA子っていう友達がいるんだけどさ〜」
お互いの学校の話になり、切り出された内容は女同士のドロドロしたものだった。
登場人物は7人ほど。
ちゃんと把握できなかったが聞いていけば、宅飲みをした時に寝ている友達の愚痴を言ったり、あざとい子の行動が、、などの話だった。
以前の私であれば嬉々として聞いただろう内容だった。
けれど私はあくびが出るほどに退屈に感じた。
きっとそれはどこの誰か知らない人たちの愚痴を聞くよりももっと面白い話があることを知ってしまったからだろう。
大学で出会った人たちと将来の話や講義で興味深かった話、世の中の話、これまでの頑張った話など、、
いつも時間が足りないほどに語り合う仲間の存在のおかげで、毎日が充実し、刺激的な日々を過ごしていたからだろうか。
世の中には考えるべきことがたくさんあって、学ぶべきことが、知らねばならないことがたくさんあることを知ったからだろうか。
私はそんな赤の他人の話を聞くほど暇ではない。そう思ってしまったのだ。
愚痴を吐き続ける彼女に解決策を提案するも、聞く気もなくただ話を続ける彼女に私は苛立ちを感じた。
しかし以前であれば嬉々としてこうゆう話を何時間もおしゃべりしていたのだから、彼女が話す内容はごく自然で、これが私たちの普通だったのだ。
私は後悔した。
「私はこんな話よりも深い話を色んな人としてきて、大学で必死こいてたくさん学んでいるんだ!」
きっと友達にそう言いたくなってしまったのかもしれない。
「私は頑張ってる!あなたよりも!」
見せつけたいと思ってしまったのかもしれない。
私が学んだことはこんなちっちゃなプライドではないはずだ。
私は恥じた。
言ってみればくだらない、どうでもいい話にも付き合えるようなコミュニケーション力や、話を合わして聞き役に徹することも時には大事で、ましてや友達を軽蔑した自分を軽蔑するべきだと思った。
私がレベルアップしたのではない。
私は昔と変わらない彼女に対して、高慢になっていたのだ。
久しぶりの再会で自分の成長を自慢したくなった私はまだまだであると痛感したと同時に心の中で自分がこんなふうに思っていたのだと気づけた。
私はもっと成長できる。
しかしそれは誰かに示すものではない。
誰かに褒めてもらいたくて学んでいるのではない。
改めて気付かされた1日だった。
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