チリツモの異常、チリツモの刷り込み / 箸をおけなかった私たち
刷り込み、マインドコントロール、洗脳!とかって聞くと『いつもロボットのような目をして、命令以外なにもしないフラフラ人間』をイメージしますが、実際はそんなことないんですよね。
洗脳されてる人は、いたって普通に見える。
みんな普通に暮らして、仕事して、遊んで、食べて、生きている。
異常は日常のなかに『さりげなく』織り込まれている。
だからこそ、それが異常だとは気づかない。気づかないから直そうとも思わない。そして異常は当たり前になっていく。
それが一番異常な状態なんですよね。
アブノーマルをニューノーマルとして受け入れてしまうこと。過剰適応。
実はこんなことがあったんです
いま、この記事をかくキッカケとなった出来事です。
わたしの夫の話しなんですけどね。食事のとき『出てきたものを限界まで食べるクセ』があるんですよ。
『苦しくなった時点で箸をとめればいいでしょ、後で食べればいいんだから!』というのですが、その時はウンわかったといっても、また何度も繰り返します。
先ほども満腹すぎてギューギューになってたので、だから箸をとめなさいよ(呆)と言ったのですが、その後ふと思ったんです。
『私たちが食事を出されて、途中で箸をおけるようになったのは、いつからだったか』と。
振り返れば人生の長い間、食事という儀式では、常になんらかの圧力(プレッシャー)をかけられていたんですよね。
夫は素直でまっすぐな人で、私のように『生まれた時から反抗期・へそまがり』ではないので、きっとプレッシャーに反発しなかったのでしょう。
だから今でも、心の奥底に『全部たべなきゃ!』というトラウマがこびりついているのではないかと・・・ふと思ったのです。
幼少期〜思春期〜新成人、ヘタをすれば中年になっても、つめこみ習慣は延々と続く。
これって意外と根深い問題なのかもしれないなぁ…と。
必要なのは注意より『安心』かも…
『箸を止めればいいでしょ』は正論ですが、これはアプローチが間違っているかもしれないと思い、以下のように言い直すことにしました。
『お箸を止めてもごはんは逃げないし、食べ途中のごはんを出しっぱなしでゲームで遊んだっていいんだよ』『もう誰もそれを怒らないから』『大丈夫だからね』
しばらく、この言い方で様子をみてみることにしました。
そんな小話でした
当たり前のカオして日常に潜む。
気づかないくらいの、小さな縛り。
小さな刷り込み、小さな洗脳は
一体どれだけあるのでしょう。
チリツモの小さなルールが重なって、重なって、いつしかガンジガラメの人生になってしまう。
1つ1つの問題は小さくても、小さいからこそ、見逃して(見逃されて)しまう。
・・・それこそが『本当の洗脳』なのではないでしょうか。
誰しも、大なり小なりマインドコントロールは受けています。
『なんでそうなるんだろう』と思ったら、違和感のサインは見逃さず、深堀りしてライトを当てた方がいいなと、改めて思った出来事でした。
ではこの辺にて。腹八分目でごちそうさまです!!
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