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チリツモの異常、チリツモの刷り込み / 箸をおけなかった私たち

刷り込み、マインドコントロール、洗脳!

とかって聞くと『いつもロボットのような目をして、命令以外なにもしないフラフラ人間』をイメージしますが。

・・・実際はそんなことないんですよね。

みんな普通に暮らして、仕事して、遊んで、食べて、生きている。異常は日常のなかに『さりげなく』織り込まれている。だからこそ、それが異常だとは気づかない。気づかないから直そうとも思わない。異常が当たり前になっていく。

異常が異常と認識されなくなる。これが一番の異常なんですよね。
ニューノーマルとして受け入れてしまう過剰適応。

「これは高級ブランドの包帯だよ」
「絆創膏はバッテンに貼るのがマナーさ」
「ケガなんかしてないけど?なに言ってるの?」

身体にたとえれば、異物が侵入しても免疫系が反応しなくなるということ。それがどれほど危険かは言うまでもありません。

ところが人ってふしぎなもので。カラダの問題が精神問題に置きかわると、とたんに危機意識がザルになるんですよ。目に見えないから。

精神の免疫力=想像力

・・・実はこんなことがあったんです

いま、この記事をかくキッカケとなった出来事です。

わたしの夫の話しなんですけどね。食事のとき『出てきたものを限界まで食べるクセ』があるんですよ。

『苦しくなった時点で箸をとめればいいでしょ、後で食べればいいんだから!』というのですが、その時はウンわかったといっても、また何度も繰り返します。

先ほども満腹すぎてギューギューになってたので、だから箸をとめなさいよ(呆)と言ったのですが、その後トイレでふと思ったんです。

『私たちが食事を出されて、途中で箸をおけるようになったのは、いつからだったか』と。

家庭では、忙しいお母さんが一生懸命に家事をこなしていて、後に続くタスク(皿洗いなど)があるので『早く食べて〜』『残さないでよね』と言われます。

学校では、給食時間・弁当タイムに食べ終わらないと『遊びに行く』ことができません。掃除のために下げられた机と椅子に囲まれて、クラスメートの白い目に晒されながら『泣きそうな気持ちでギュッギュと喉に詰め込んだ記憶』は、誰しも持っているのではないでしょうか?

会社では、店に行って帰る時間も考慮して、実質40分以内には食事と雑談を終えなければなりません。休憩時間は利益をださないので、無価値状態である自分に居心地の悪さを感じています。早く食べ終わって出ないと、お店の回転率も落ちますし。営業職などはピットインのごとく、急速充電するように詰め込むのが効率のよい食事

ゼンブ・タベル・ハヤク・タベナキャ・・・

振り返れば人生の長い間、食事という儀式では、常になんらかの圧力(プレッシャー)をかけられていたんですよね。

夫は素直でまっすぐな人で、私のように『生まれた時から反抗期・へそまがり』ではないので、きっとプレッシャーに反発しなかったのでしょう。

だから今でも、心の奥底に『全部たべなきゃ!』というトラウマがこびりついているのではないかと・・・ふと思ったのです。

幼少期〜思春期〜新成人、ヘタをすれば中年になっても、つめこみ習慣は延々と続く。

意外と根深い問題なのかもしれないなぁ…と思いつつトイレをでたのです。
※この間約30秒ほど

ゼンブ…ゼンブ…タベナキャ…
これって幼少期からの刷り込みかしら…

必要なのは注意より『安心』かも…

『箸を止めればいいでしょ』は正論ですが、これはアプローチが間違っているかもしれないと思い、以下のように言い直すことにしました。

『お箸を止めてもごはんは逃げないし、食べ途中のごはんを出しっぱなしでゲームで遊んだっていいんだよ』『もう誰もそれを怒らないから』『大丈夫だからね』

しばらく、この言い方で様子をみてみることにしました。

「ウッ・・そろそろ止めるか・・・」

そんな小話でした

当たり前のカオして日常に潜む。
気づかないくらいの、小さな縛り。

小さな刷り込み、小さな洗脳は
一体どれだけあるのでしょう。

チリツモの小さなルールが重なって、重なって、いつしかガンジガラメの人生になってしまう。

1つ1つの問題は小さくても、小さいからこそ、見逃して(見逃されて)しまう。

・・・それこそが『本当の洗脳』なのではないでしょうか。

誰しも、大なり小なりマインドコントロールは受けています。

『なんでそうなるんだろう』と思ったら、違和感のサインは見逃さず、深堀りしてライトを当てた方がいいなと、改めて思った出来事でした。

ではこの辺にて。腹八分目でごちそうさまです!!

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