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子どもの宇宙

2023年9月16日 晴れ

先日、とある人生の大先輩に、河合隼雄さんがおもしろいよと教えてもらった。

(1928-2007)兵庫県生れ。京大理学部卒。京大教授。

日本のユング派心理学の第一人者であり、臨床心理学者。文化功労者。文化庁長官を務める。独自の視点から日本の文化や社会、日本人の精神構造を考察し続け、物語世界にも造詣が深かった。著書は『昔話と日本人の心』(大佛次郎賞)『明恵 夢を生きる』(新潮学芸賞)『こころの処方箋』『猫だましい』『大人の友情』『心の扉を開く』『縦糸横糸』『泣き虫ハァちゃん』など多数。

amazonより

たくさんの著書がある中で『子どもの宇宙』というタイトルに惹かれ、まず、これを手に取ってみた。

〈はじめに〉からビシビシくる。はじめにを全部引用したいくらいだが、できるだけかいつまんで紹介してみたい。

この宇宙のなかに子どもたちがいる。そして、ひとりひとりの子どもの中にも宇宙があるが、大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。

大人たちは、小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。

このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。

と、冒頭から辛辣である。

この本が刊行されたのが、1987年。いまは、子ども主体、非認知能力、なんて言葉にも現れるように、当時よりよっぽど、子どもの宇宙に気を留める大人が多いのだとは思うが。

筆者は、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにつまらないのではなかろうか。と、続けている。

私も最近よくそんなことを思っているので、共鳴しまくりで心地よい。

このあと、子どもたちの詩が素晴らしいのでと、詩を2つ紹介して、それを筆者の心理療法を受けに来ておられる人(成人)にも紹介したら、「それでも、あれはフツウのことでしょう。」と、言われたと記されている。

紹介されている詩は、全く素晴らしいし、痛快で、さすが子どもは本質を突いているなぁと、普通の私は感じたんだけど。

この本に手を出す前のこと。私も、児童文学こそ大人が読むべきなんて記事を書いて、その中で、もしかして私が言ってるのは、皆んなが知っている普通のことなのか?と、書いたところだったので、胸がザワザワしてしょうがない。

筆者は、「フツウのことを知らない人があまりに多すぎるのでね」と答えたそうだが、この言葉は、心に強く響き、この本の執筆にあたって、本書をどのように書くか、いったい何が書けるのか、という点で反省を強いる、と記している。

続けて、筆者は、心理療法という仕事を通じて、多くの子どもにも大人にも会ってきた。その中で、実に多くの子どもたちが、その宇宙を圧殺されるときに発する悲痛な叫びを聞いたと言っている。

彼らの悲痛な叫びや、救いを求める声はまったく無視されたり、かえって問題だという判断のもとに、大人たちからの圧迫を強めるだけに終わったりした。本書を書こうとする筆者の主要な動機は、そのような宇宙の存在を明らかにし、その破壊を防止したいからに他ならない。

一方で、筆者の推薦した子どもたちの詩が、「フツウのこと」を語っていると言った人は、何を言いたかったのか。自身の体験から、子どもの宇宙が、もっと広く凄いものであることを知っていて、筆者もそれを知っているであろうに、どうしてそのようなフツウのことを書いた本を多くの人に推薦するのかという気持ちをこめて言っている。と、記している。

うーん。フツウとか、フツウじゃないとかってなんなんだか、不勉強な私はよくわからなくなってくる。

筆者は、自身はフツウの人間であるが、フツウにしては、少しフツウでないこともわかる人間として、心理療法などをしていて、皆に、フツウでないことを知って頂くのは、難しいことであると認める。

でも、『子どもの宇宙』という大きい題をつけた以上、少しはフツウでないことも話さねばならない。幸いにも児童文学の名作には、子どもの宇宙について素晴らしい記述がなされているし、最近の心理療法の事例も交えながら、この大きい仕事に挑戦したい。結局のところは、フツウの話になってしまいそうな予感もするのだが、と記していた。

ああ、何を言ってるのかわからない。が、感覚的には理解できるような気がしないでもない。まぁ、たくさんの児童文学が紹介されているので、読みたい本は山積みとなっていく一方だが、時間をかけてでも、一つずつ読んで行きたい。

〈はじめに〉の最後にこうある。

大人もそれぞれ宇宙を持っている。しかし、大人は目先の現実、月給や地位などに、心を奪われるから、自分のなかの宇宙のことなど忘れてしまう。その存在にきづくことは、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである。

大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、子どもの宇宙を無視したり、それを破壊しようとするのかも知れない。従って、その逆に子どもの宇宙の存在について、我々が知ろうと努力するときは、自分自身の宇宙について忘れていたことを思い出したり、新しい発見をしたりすることにもなる。子どもへの宇宙への探究は、おのずから自己の世界への探索につながってくるのである。このようなことについても配慮しながら、子どもの宇宙について考えてみることにしよう。と。

まさに。

我が子を持ち、子どもと共に歩むなかで、今まで見えてこなかった常識とされてるようなことに違和感を感じまくるようになり、何かを求めるように、こんな日記を記していたりするわけですが、本質に目を向ければ向けるほど、不安がつきまとったりするかもしれない。

でも、それは確かに新しい発見につながっているし、それは決して無駄じゃないとは思っていて…。

皆さんもぜひ、『子どもの宇宙』読んでみてください。

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