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ここは阿呆の檜舞台。

「愛している人の愛情を試したくなる。」
私にも覚えがあった。

「愛すると、その人は私の愛情に胡座をかいてしまう。」
これも、覚えがある。

「口下手だと、愛がないと思われてしまう。」これも。

「老いた親の気儘さに手を焼く」
これも。

初めて観たその舞台には、
私の身に覚えのある場面が散りばめられていた。

観劇したのは、パルコステージの「リア王」。
ショーン・ホームズ演出、段田安則主演。
最近、大河ドラマで藤原兼家を演じておられた段田安則さんの演技の迫力に魅せられた。
そして気づいたらリア王のチケットを買っていた。

初めてのシェイクスピア。
幕が上がると、真っ白な舞台にコピー機とウォーターサーバー、スーツ姿の男性。
拍子抜けした。
「あれ、私、中世の貴族のお話を観に来たんだよな。」

そんな違和感は最初のうちだけだった。
簡素な舞台に、俳優さんたちの演技がくっきりと映える。
どんどん話に引き込まれていった。

リアが狂気に取り憑かれていく様の演技は、すごかった。
笑ったり泣いたり怒ったり、火花が散るようだった。
リアの気が触れて意識が移ろうたびに、天井の電灯がジジっと点滅する。
運命に翻弄される人間を表すモチーフであるハエが人間の周りを時折飛び、悪役の玉置玲央さんに足をむしられる。

シェイクスピア特有の、セリフの長回しも最初は慣れなかった。
よく舌を噛まないなーなんて思っていた。
慣れてくると心地よく、道化とリアの掛け合いなぞ、大変気持ちよかった。

長い長い言葉の奔流に飲まれる中で、不思議と心に残ったセリフがある。
「赤子が産声をあげて泣くのは、喜びではない。阿呆の檜舞台に産み落とされた悲しみで泣いておるのだ。」

阿呆の檜舞台という言葉は、なぜかすごくしっくり来た。
周りを見て馬鹿馬鹿しいと思ったり、やるせないと思ったり、腹が立ったり。
ここ数年、本当にそういうことが多かった。
でも、ここは阿呆の檜舞台。
そう思えば、人生はただの悲喜劇だった。
自分も神様に演出された舞台で、ただ騒いでいるだけ。
そんなふうに思えた。

そうして迎えた月曜日。
普段はイライラしながら仕事をしているのに、不思議と気持ちが穏やかだった。
鳥のように、自分と自分の周りを俯瞰しているような気分だった。

初めてのシェイクスピア観劇のはずだった。
観たあと、世界の見え方が変わってしまった。
演劇の力は恐ろしい。
すっかりハマってしまった私は、6月にハムレットを観に行くつもりだ。

さて明日も檜舞台で大騒ぎしようか。

《終わり》

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