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【美術館レポ】正直難しかったけど、面白かったキュビスム展

6月下旬の蒸し暑い京都。
京都市京セラ美術館でやっていた、キュビスム展に行ってきた。

もともと美術館巡りが大好きで、西洋の画家をメインに、都度行きたい展覧会に足を運んでいる。

この夏の時期、関西で開かれた展覧会には、なかなか西洋絵画の取り扱いがなかった。
うーん…と思っていたところ、見つけたのがキュビスム展。

ピカソ、セザンヌ、ブラック、シャガール…錚々たる画家たちの名前が連なっている。

ピカソ展で「アヴィニョンの娘たち」などのキュビスム作品を観たことがあったけれど、他の画家のキュビスム作品を観たことがなかった。

「キュビスム、難しそうなんだよな〜」とは思いつつ、好奇心に従って足を運ぶ事にした。

キュビスムの始まりとなったセザンヌの静物画

キュビスムが最初にみられたのは、セザンヌのこちらの一枚らしい。
よく見ると右側の机の足が、正面からとサイドからの両方の視点で描かれている。
この起点に始まってキュビスムがどんなふうに広がっていったかを、しっかりと教えてくれる企画展だった。

セザンヌの静物画のこっくりした質感がとても好き。


お待ちかねのピカソは、やっぱりかっこいい。

ジョルジュ・ブラックと切磋琢磨しながら、ピカソはキュビスムを進化させていく。
特に印象に残ったのが、こちらの裸婦像。
キュビスムで表現したことにより、背景の山の風景と一体化して独特の荘厳な印象を与える。

印象に残る一枚。

これまで、裸婦像といえば、ルノワールの絵のイメージだった。
印象派特有のキラキラと柔らかい、写実的な裸婦像。

しかし、キュビスムで描かれた裸婦像は、それとは真逆であった。
まるで彫刻のような格好良さ。
裸婦像といっても、柔らかな肉体美というよりも、生命としての尊厳を感じる。
女性の体が、雄大な自然と同じ迫力で画面に存在しているのだ。

驚きとともに、これまでない視点を得て、脳が喜んでいるのを感じた。
こういう素敵な出会いがあるから、美術館巡りはやめられない。 

ピカソとブラックの活躍の後、後進の画家たちも、果敢にキュビスムという表現にチャレンジしていく。


私の大好きなシャガールも、キュビスムの技法を使っていた。

もともとシャガールの絵が好きだ。
カラフルな色使いもそうだし、故郷や愛妻などモチーフへの愛が詰まっている。

襟元のドレープが美しい。

こちらの作品も、シャガールの代名詞とも言える、愛妻ベラがモチーフだ。
洋服のドレープが美しく、幾何学的な背景と相まって、幻想的だ。

これまで、シャガールの絵にキュビスムが使われているなんて知らなかった。
すでに好きな画家について、また別の角度で知れるから、企画展は素晴らしい。


正直とても難しかったけど、学びになった。

国際情勢の悪化から、フランスとドイツの対立に、キュビスムが槍玉に挙げられて弾圧された時期もあったそうだ。

それでもキュビスムの魅力は人の心をとらえて止まず、演劇や建築などにも取り入れられたそう。
それらの展示もあったが、とにかく難易度が高かった。

理解はできなかったけれども、キュビスムの広がりと影響力の大きさを実感した。

芸術に限らず、今までやってきたことを踏襲することは簡単だ。
それでもあえてそれを壊して、キュビスムという表現に挑戦し、批判を恐れなかった人たちの存在は私に勇気を与えてくれた。

キュビスム展は非常に難しく、理解は到底及ばなかったけれど、私にとって素敵な芸術体験となった。

来月はどの展覧会に行こうかしら。
新しい価値観との出会いに、今からワクワクが止まらない。

《おわり》

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