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江戸に生まれた伝統や文化、人々の営みや意識には学ぶべきものがあふれています。 裕福では…

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江戸に生まれた伝統や文化、人々の営みや意識には学ぶべきものがあふれています。 裕福ではないけれど、思いやりや優しさに溢れ、モノを大切にしてエコの知恵を育み、災害にめげずに活力を生み出し続けた心意気。 彼ら『江戸っ子』の精神を学び、東京の『江戸』を楽しく豊かに過ごしています。

最近の記事

    • 二十四節気(にじゅうしせっき)『清明』

      清明(せいめい) 「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」を略した言葉で、春の浅い時期の清らかで生き生きとした様子を表します。 鳥がさえずり、菜の花が咲き始める春たけなわの時候。 万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧) #二十四節気 #春分 #春彼岸 #ユネスコ無形文化遺産 #五節句 #雑節 #江戸 #江戸文化 #edo

      • 二十四節気(にじゅうしせっき)『春分』

        彼岸の中日(なかび)にあたる日。 昼夜の長さがほぼ同じになり、この日以降は日が伸びていきます。 「春分の日」の前後3日間は「春彼岸」といわれています。 気温もだいぶ上昇し、春本番を迎えます。 とはいえ、まだまだ寒いですが。。。🥶 日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧) #二十四節気 #春分 #春彼岸 #ユネスコ無形文化遺産 #五節句 #雑節 #江戸 #江戸文化 #edo

        • 桃の節句(上巳の節句)🎎

          五節句の一つ。 平安時代に中国から伝わったもので、草木や藁で作った人形に自分の体の穢れや災厄を移して川に流す「流し雛」の行事がルーツのようです。 雛人形を祀って祈願をする「上巳の節句」と宮中での「雛遊び」が発展したことによって、江戸時代に幕府が三月三日を「桃の節句」として正式に制定しました。  旧暦の三月三日頃は、ちょうど桃の花が咲く時期だったようです。 桃の木は、古来より不老長寿を司り、魔除け・厄除けの力を持つとして重宝されてきました。 桃の節句に飾る桃の花はとても縁起

          富山湾ホタルイカ漁🦑

          富山湾では江戸時代に始まった越中式定置網漁業が現在でも行われています。 沿岸に網を仕掛けてホタルイカが入るのを待って、入ってきたものだけを獲る漁法で、ホタルイカを傷めたり、獲りすぎたりしないように網の目にも工夫がなされています。 他の漁法より海に与える影響を抑えることができ、環境にやさしい漁法なんですって。なんて素晴らしいことでしょう(*^-^*) SDGsが世界中で広がりをみせる今、江戸時代には「14.海の豊かさを守ろう」がごく自然に行われ、海の資源が守られ大切に使わ

          富山湾ホタルイカ漁🦑

          二十四節気 『雨水(うすい)』

          「降り積もった雪が溶け出す」 雪が雨に変わる頃が「雨水」です。 今年は2月19日でした。 山に積もっていた雪も徐々に溶け出して田畑を潤し始め、農作業の準備に取り掛かるための目安となる日です。 陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり(暦便覧) #二十四節気 #雨水 #暦便覧 #暦 #春 #江戸時代 #江戸文化 #edo

          二十四節気 『雨水(うすい)』

          ユネスコ無形文化遺産『二十四節気(にじゅうしせっき)』 

          中国の春秋戦国時代に作られ、江戸時代に日本に導入された季節の区分法で、黄道(=地球から見た太陽の移動経路)に基づいて1年を24等分したものです。 月が地球の周りをまわる周期(=月の満ち欠け)を基準にした「太陰暦」の場合、実際の季節との間にズレがあるため、農業に携わる人にとって不都合が生じていました。 そこで、一年を「12の節気」と「12の中気」に区分して季節の推移を示し、それらに「季節を表す名前」を付けた「二十四節気」が考案されることになったとのことです。 「二十四節気」

          ユネスコ無形文化遺産『二十四節気(にじゅうしせっき)』 

          ◆東京近代水道125周年 その3

          明治26(1893)年10月22日、淀橋浄水場において、改良水道起工式が行われましたが、様々な苦難に直面したこともあって、ようやく明治31(1898)年12月1日に淀橋浄水場から神田・日本橋方面に給水の開始となります。 当時の水道は、一般家庭の場合、各戸に給水されるものではなく、街路に設置された共用の水栓を利用するものでしたが、すぐに容器一杯となってしまいました。また、旧水道では雨天の際には濁りもつきものでしたが、鉄管で密封された水は衛生的にも安全で、その圧力は防火上の効果が

          ◆東京近代水道125周年 その3

          今日は『初午(はつうま)』 稲荷詣へ⛩️

          その年の最初の午の日「初午」には、江戸だけではなく、全国各地で稲荷のお祭りが行われました。 「稲」という言葉に表されるように、稲荷神は当初は穀物や農業の神様でしたが、商工業の発展するにつれて、開運や健康の神様としても広く信仰されるようになりました。 江戸の町では、町中に朱塗りの鳥居や祠が建てられていたようで、江戸時代の後期には、数を把握するのが困難なほどに稲荷社が多く存在し、庶民の生活にも必要とされたことが伺い知れます。 江戸では初午の日には、「初午祭」や「稲荷講」など

          今日は『初午(はつうま)』 稲荷詣へ⛩️

          ◆東京近代水道125周年 その2

          現在の東京水道の起源は、江戸時代に整備された6つの上水にまで遡ることができます。 江戸時代に整備された水道は、石積みの水路や木製の水道管(以下、「木樋」という。)などで供給されていましたが、時代とともに老朽化し、衛生状態も悪化していきました。 明治時代に入り、政府は衛生状態改善のために水道改良に向けて動き出し、明治31(1898)年、淀橋浄水場からの給水が始まります。 淀橋給水場からの給水の開始によって、東京の近代水道はその幕を開け、以後、東京の発展とともに急増する水道需要

          ◆東京近代水道125周年 その2

          いなり寿司🦊 

          初午には稲荷寿司!(^^)! 二月最初の“午(うま)の日”は、お稲荷さんの総本山である京都の伏見稲荷大社に農耕を司る神様が舞い降りた日とされていて、食物の神様として「お稲荷さん」を祀る日です。 稲荷神社では、神の使いとして「狐」が祀られていて、「お稲荷さん」の使いである「狐」に油あげを備えて願掛けした江戸の風習から、油揚げを使った寿司を「稲荷寿司」と呼ぶようになりました。 別名の「信太寿司」は、大坂の‟信太の森の狐”が由来のようです。 この「稲荷寿司」、東日本では「いなり

          いなり寿司🦊 

          立春(りっしゅん)

          2月4日は立春。暦の上での1年の始まりで、冬から春へと季節が変わる日。 新暦では「節分」の翌日、「八十八夜(はちじゅうはちや)」「二百十日(にひゃくとおか)」などの雑節の基準日です。 二十四節気で春夏秋冬それぞれの季節の始まりで「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日すべてが「節分」と呼ばれていたのですが、その中で、一年の始まりとして最も大切にされてきた立春の前日のみをいつからか「節分」と呼ぶようになったようです。  『春の気たつを以て也』(暦便覧) #二十四節気 #立

          立春(りっしゅん)

          節分(せつぶん)

          「節分(せつぶん)」は「立春」の前日で、「大寒(だいかん)」から数えて15日目のことです。 この日は旧暦の「大晦日(おおみそか)」にあたり、新年の邪気を払うため、古くから宮中では「追儺式(ついなしき)※1」と呼ばれる年中行事が行われていました。 この「追儺式」を起源に、現在でも「節分」の日に豆をまいたり、柊鰯(ひいらぎいわし)を玄関に飾ったりしていますね。 なぜ「豆」をまく?  福の神を家に迎え邪気を払うために炒った  大豆を「福は内、鬼は外」部屋の隅々まで 撒き

          節分(せつぶん)

          ◆東京近代水道125周年 その1

          東京の近代水道の歴史は、明治 31(1898)年 12 月1日に、淀橋浄水場から神田・日本橋 方面への給水が開始された時に始まり、令和5(2023)年で125 周年を迎えました。 徳川家の江戸入国後、徳川家康から家光の時代には神田上水を、四代将軍徳川家綱の時代には、多摩川から江戸に水を引くため、庄右衛門・清右衛門が玉川上水を整備しました。これらが今日の東京水道の遠い起原です。 現在の東京水道の起源は、江戸時代に整備された6つの上水にまで遡ることができます。 江戸時代に整備

          ◆東京近代水道125周年 その1

          長命寺桜もち🌸

          江戸時代、砂糖の普及によってさまざまなお菓子が作られるようになりました。 まさに、お菓子のビッグウェーブです。 今に伝わる銘菓にも江戸時代から続く老舗が少なくありません。 江戸中期以降に江戸の町で人気を博したお菓子が『桜餅』でした。 隅田川沿いの向島に「長命寺」というお寺があります。その寺の門番だった山本新六が、向島堤に落ちる桜の葉をみて、柏の葉で餅を包む柏餅を真似て、桜の葉を塩漬けにして餅を包むことを思いついたとのこと。 享保2年(1717年)「山本屋」という店を開き

          長命寺桜もち🌸

          居酒屋のルーツ 『豊島屋』

          慶長元年(1596年)、鎌倉河岸(かまくらがし 現在の東京都千代田区内神田))で、初代 豊島屋十右衛門が酒屋兼一杯飲み屋の商いを始めました。 『豊島屋』は東京においての最古の酒舗で居酒屋のルーツとも言われています。 当時は、関西からの「下り酒」を店先で計り売りしていましたが、簡単なつまみを出すようになり、現在の居酒屋の原型の商いを行うようになったと言われています。 豆腐に味噌を塗った後に焼いて供する「豆腐田楽」が酒のつまみとして人気を博した事で、豊島屋は大変な賑わいだったと

          居酒屋のルーツ 『豊島屋』