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仙台に移住したら、大事なものがわかった話

みなさんこんにちは!
久しぶりにnoteを書いています、リチカのセールス担当まいまいです🌷
🎄リチカアドベントカレンダー🎄の12月8日を担当します!
今回はセールスのお話ではなく、働き方について書いてみようと思います。

自己紹介

株式会社リチカで「リチカ クラウドスタジオ」のフィールドセールスを担当し、デジタルマーケティング領域の運用型クリエイティブについてお客様とお話しています。
営業は天職!!好きなものは料理とお酒と音楽。インドア派の極み。
Twitterに主に生息しているので、気軽にDMください🌷

去年のアドベントで書いた記事はこちら

はじめに

コロナとは関係ございませんが、身内が病に罹った話を取り上げていますので、苦手な方はご注意いただけますと幸いです。

コロナで働き方そのものが変わってきた

2021年。コロナに振り回された年でした。
急に出社NGになり、自宅で毎日オンライン商談をする日々。コミュニケーションが取りづらくなり、チャットでのやりとりにやきもきしたり、落ち込んでいるメンバーに気がつけなかったり。狭いアパートの一室で、いつまでも自分一人。何に困っているのかもお互いにわからないまま、違和感を口に出しづらい日々がありました。一方で、営業活動は順調。むしろ調子が良くなっていることもありました。

そんな中、S1グランプリという営業のトップを決める大会がオンラインで開催されることになりました。予選から本戦に進めることになり、毎日プレゼンの準備をしていました。(運営の皆さま本当に大変な中開催いただきありがとうございました。)このときは、営業という仕事が大好きで、トップセールスで有り続けたい!と思っていたので、まさか急にキャリアについて考える機会がやってくるなんて思っていなかったのです。

母、大病を患う

忘れもしない5月30日。S1に出場してプレゼンが終わった直後です。
急に電話がかかってきました。母が白血病に罹り、緊急入院になったことが知らされました。もうその後は記憶がかなり曖昧なのですが、なんとかS1の開催終了までがんばり、その後取締役の中西さんに泣きながら電話しました。

中西さんから経営メンバーにもすぐに共有いただき、「いつでも頼れ。家族を優先しろ。仕事はどうとでもなる。」ということを繰り返し言われました。社長の松尾さんからも温かいメッセージをいただいたことを覚えています。

仙台に完全移住

父のことも心配でした。母のことが大好きで、仕事が忙しく、家事もこれまであまりやったことがない父。なかなか食事の支度や家事、犬の世話、母の入院手続きなど、全部を父一人でやるのは難しいと思いました。コロナ禍で入院中の母には全く会えないのは理解していたのですが、居ても立っても居られない気分でした。そして、仙台に完全移住することを決意しました。

東京にいられないのなら、キャリア詰んだかも

東京にいた頃は、リチカの仕事が好きで、営業の仕事が好きで、いつも全力で仕事をさせてもらっていました(時には遅くなることも)。
しかし、仙台に戻ってくるとそうも言っていられません。どう考えても時間が足りないのです。生活のスケジュールもこれまでと大きく変わりました。
(途中でパニックになって、また中西さんに泣きながら電話しています笑)

「東京で働けないなら、私のキャリアは終わったかもしれない」と感じることもありました。スタートアップにいるなら、死ぬほど働いて成果出さないといけないと思いこんでいたのです。
ふと、仲の良い従兄弟に「社会人は持久走だぞ、短距離走じゃないんだから息切れするような働き方を続けるな」と言われていたことを思い出しました。

もう一度、中西さんと話しました。
どういう状態が理想なのか、なにが一番しんどいのか。たくさん話を聞いてもらいました。メンバーにもたくさん助けてもらって、一人で抱え込まない環境を作ってもらいました。

このとき初めて、「私一人でできることは大して多くないから、自分が一番バリューを発揮できるところに全力投球しよう。」と思ったのです。
渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」の意味がわかった気がしました。

仙台に移住したら、大事なものがわかった

そして、少し働き方を変えてみました。
業務時間をみんなよりも1時間早く開始して、1時間早く終了させてもらいました。病院へ行かないといけないときは、フレックスタイムを活用させていただき、15時に仕事を終える日もあります。
今思えば、東京で一人暮らしをしていた頃は、自分ひとりのことを考えればよかったので、ダラダラと夜遅くまで仕事をする日もあり、効率的とは呼べないことがあったかもしれません。
ジャンルの異なる「大事なもの」「やらないといけないこと」が発生したことによって、今この瞬間で最も重要なものはなにか?を考える癖がつきました。

この考え方によって、テキスト化する意識も芽生えました。これまで属人化していた営業面のノウハウや、口頭で伝えてきた業務マニュアル、別部署や上司への相談事項などなど。いつでもオフィスで一緒に仕事をして、隣であれこれ相談できる環境ではなくなったので、たたき台として使えるものを作っておくこと大事だと思ったのです。(リチカではこれを「現物主義」と呼んで大切にしています)

このスタンスが営業活動にも活きていて、ヒアリングをしながら、問題と課題のズレがないのか?をクリティカルに考える精度が上がったように思っています。

いろんな挫折・失敗・苦しさを味わいながらも、今は仙台に来てよかったなと思っています。仙台に来て、父と7年ぶりにまた生活を共にして、直接会えないけれど、母の入院中に荷物や差し入れをしたりして。
仕事がいちばん大事、と思い込んでいましたが、帰ってみたら家族も大事ということに気がついたのです。(当たり前のことなんですが私はあんまりわかってなかったんですね😭)
私はわがままに、仕事も家族も大事と言い切りたいと思います。
あのとき、ああしていればよかった、と後悔したくないから。
でも、私ひとりでできることはそう多くないので、周りのみんなに助けてもらいながら、助けられる人でありたいと思いました。

おわりに

ここまで長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
リチカには、「絶対に〇〇」というものが存在せず、どうしたら良くなるか?(永遠にβ版)を考え続けるカルチャーがあります。
常識を疑い、一緒に考えてくれる仲間がいます。
これまでは普通じゃなかったかもしれないことも、これから当たり前になるのかもしれません。働き方で悩んでいる人がいたら、ぜひ一緒に悩ませてください🔥

※ちなみに母は未だ入院中ですが、今月には退院できそうな見込みなので、一緒に喜んでください笑

追記 
2021年12月末に無事に退院しました!

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