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多芸は無芸?役立つ時は来るのか②

多芸は無芸?役立つ時は来るのか①の続きです。

まだ①を読んでいない方はこちらをお読みください。

やっと夢が叶う

テレビやラジオの仕事を始めたおかげで十分な収入を得ることができたので、音楽の機材なども揃え、やっと本当にやりたかった音楽の仕事ができるようになりました。かなりの回り道をしたので、スタートは少し遅すぎた気がします。

最初は作ってもらった曲に歌詞をつけたり、カバー曲から歌い始め、デモを作り、ライブをいろんな場所でするところから。次はバンドに入り、最終的にはソロ活動で、自分で作詞作曲をした歌を歌えるまでになりました。CDも何枚かリリースし、ライブ活動もコンスタントにするようになりました。ミュージシャンとしての活動は7〜8年くらいやったでしょうか。ひと通りは、やってみたかったことができ、ある程度夢は叶いました。

ただ、続けていくうちに、売れるために求められている事と、自分がやりたい事のギャップに、苦しむようになります。テレビやラジオに比べると、アーティストとしては収入が少なかったし、仕事が波に乗る頃には、年齢も30歳になっていました。

このままシンガーソングライターを続けていくには、微妙な年齢だし、テレビやラジオだって、いつまでも音楽活動の収入源のために続けていくほど、簡単な仕事ではありませんでした。


人生の転機に、役立ったこと

そこで、東京から沖縄へ移動することにします。(なぜ沖縄に移動したか、については、こちらのコラムをご覧ください。)

沖縄のカフェで働くことになり、レストランで働いていた経験が役立ちました。

そのあと、国際結婚をするので、英語がまた役に立ったわけです。

そして、芸能の世界から離れインドへ渡り、ヨガインストラクターの資格を取ります。海外に一人でも問題なく行けるのは、やはり英語力が役に立っているし、小さなころから運動が好きで色々やってきたことも、ヨガで筋肉や解剖学を勉強をする時に役に立ちました。

インドから帰ると、沖縄でヨガを教え始めました。ヨガの練習は、今までのアップダウンの激しい自分の精神面を安定させるのと、その後の子育てにもとても役立ちました。

妊娠を期に、子供がいても家でできる仕事はないかな、と思ってジュエリーを作るようになりました。be clad.(ビークラッド)というブランドを作り、主に通販でジュエリーを販売。これは、特に誰に習ったわけでもないので、小さなころから創作が好きだったことを、仕事にできた一つかなと思います。

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結局は、人生の分岐点に立った時に、色々な選択肢があるということが、とても役立った、ということです。


ママとしては、全ての経験が役立っている

こうやって書いてみて気付いたのですが、もしかすると、好きだったことに自分の持っていたエネルギーを最初から注いでいれば、さっさと好きなことを仕事にできていたのかもしれません。

好きなことというのは、やっぱり習得が早いし、嫌いなことは何年やっても全然身にならなかったです。英語に関して言えば、6年間、嫌いだった学校で学んだ時はいつも赤点ギリギリでしたが、本当にやりたい、絶対に喋りたい、と思ってアメリカで本気で勉強した時は、7ヶ月で大学入学レベルの英語が話せるようになりました。

でも、遠回りして色々と経験を積んだおかげで、今の自分があるのも確かです。近道をしていたら、ヨガはやらなかっただろうな、と思うし、ヨガを勉強しなければ、今のマインドや考え方はなかったと思います。

親に音楽を反対されなかったら、アメリカにも行っておらず、英語も話せるようになっていなかったでしょう。

人間として様々な挑戦や失敗を繰り返したおかげで、幅広い視野や、小さな幸せに感謝すること、ありのままの自分に満足できるようになったことが、何よりの宝です。

特に、女性は結婚、出産をすることを選択した場合、どうしても仕事は犠牲になってしまいます。そんな時に、一つの仕事に縛られず、他人や環境を恨むこともなく、状況に合わせて、他の選択肢を選ぶことができる自分でいてよかった、と思います。

そして、6歳の娘を育てる現在は、仕事、家事、子育ての両立や、子供の教育を考える際に、多芸は無芸かもしれないけど、ママとしてはとても役立っているのです。


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(上は、インド滞在時に描いた壁画。いつになっても絵を描くのは好きです。)


マイコ

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