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「何者か」であることは結果でしかないのだ

あなたは誰ですか?
この質問にスラスラと答えられますか?
朝井リョウの「何者」を読んだときは共感のしすぎで、しかもあれは痛い類の共感なので、全治一週間くらいにはなったんじゃないかと。
「何者」は新卒の就活の話ですが、就職活動中の人はもちろん、そうでない人も、自分のこれまでとこれからを考える人にはおすすめの本です。

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以前、困窮者支援に長年携わっている方に
「なぜ支援を続けているのですか?」と質問を投げかけたところ
「楽しいからだよ」
という一言だけが返ってきて、とても驚いたことがあります。
「社会のために続けている」「困っている人のために続けている」
そんな類の返しを、どこかで期待していた20代の私には衝撃でした。

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何者かになりたい自分、それを模索している段階での苦しみ。
それは、「何者」で描かれている新卒の就職活動中の学生のような立場では、より強く感じるかもしれません。

私も文系学生だったので、まさに主人公たちのように苦しみました。理系で専門性の高い研究をしている友人たちや、専門学校に通って実務的な力をすでに身につけている妹なんかをとても羨ましく思っていました。

ただ、この悩みは何も新卒の場面だけのものではないですよね。「何者」が揺らぐ瞬間って、他にもたくさんあると思うんです。

例えば大手企業の退職を考える時。会社という看板を外したら自分は何者になってしまうんだろう?
育児による退職の時。私は「○○ちゃんの母(もしくは父)」、それだけ?
定年退職の時。長年「サラリーマン」だった自分はどこに行くんだろう?
などなど。


先ほどの「楽しいからだよ」という答えの話に戻りますね。(自分の中では、「楽しいからだよ事件」と呼んでいます)

この言葉を受けてからは、私は、「何者かである」ということは、結果でしかないのかなぁと思います。
それはあくまで何かをやってきた結果でしかなくて、「何者かである」もしくは「何者かになる」ことばかりを目的に動こうとすると、苦しくなってしまうのかもしれないです。
この小説を読んでも、やはりそんなことを思いました。
その方は、好きだから続けた結果、その道の第一人者になった。もちろん今もずっと続けている。
続けられるほど好きなことがまだ見つからないという人でも、まずは自分にできることに集中してもいい。できることが増えれば、やりたいことも見えてくるかもしれない。未知の世界に飛び込んでみたっていいかもしれない。

キャリアを考えるすべての人に、間違いなく推薦の図書です。

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