かつて若者だった私が、今の若者を応援し続けている理由①〜若者の熱意が自分の人生に衝撃を与えた話〜
若い皆さんへ伝えたいこと
これからの未来を生きてゆく若者の皆さんへ。
私は、いつの時代も、どこの国でも、「若い人たちの熱い想いとパワーがものごとを大きく変えていく」と信じています。
ですから、この日本においても、若者が国のこれからを変える力を持っているのだ、とわりと本気で思っています。
だからこそ、若い皆さんをさまざまな形でサポートしていきたいと思い、今までも「若者サポート」の活動をしてきました。今も支援をさせてもらっていますし、きっとこれからもたくさん行っていきます。
20年ほど前、私もかつては皆さんと同じ若者でした。インターネットが日本中で繋がり始め、様々なことが生まれていく。そんな熱のある平成の時代を若者として生きました。
このコラムは、昭和に生まれ、皆さんより少しだけ先を生きてきた私からおくる応援のメッセージです。
今の若い世代の皆さんが想いを持ち、何かを行動する時に、一歩踏み出す勇気を持ってもらえるような、応援や支えになれるような発信ができたらと思っています。
若者を応援することは、自分の人生の軸の一つ
この数年で、「学生に向けて起業についての大切なことを伝えてほしい」「新しい価値を生み出す方法についてわかりやすく教えてほしい」という依頼がとても多くなってきました。
2023年4月から東京の江戸川区に新しく設立された東京情報デザイン専門職大学(通称TID)という大学で、講師させてもらっています。普段は会社で仕事をしながら兼業で教員(みなし教員といいます)を行う新しい形です。
この学校で私は情報デザインを教えています。特にこの学問の根幹となるデザイン思考と呼ばれるような考え方や基礎的なスキルを組み合わせて新しい価値を提案するための情報デザイン演習を担当しています。
また、考えたことをどのように具体的な「心地よさ」に落とし込んでいくのを探求するUI/UXと呼ばれるエクスペリエンス(経験)の講義も受け持っています。
また、この大学での講義の他にも、県や市のみなさんが主体となっている大学生向けの起業家を育成するプログラムや、中小機構さんが主催する中高生向けのプログラムなどでもお声がけいただいております。
講師としてさまざまな地域に足を運び、若い人に対して、サポートする機会がかなり多くなってきました。
私が「若者に賭けよう」と本格的に若者支援を始めたのは10年以上前のことです。この数年、様々な形で若者を支援をする仕事が増えていることは、私にとってこの上なく喜ばしいことです。
同時に今後、まだ出会えていない皆さまにお会いできるのが非常に楽しみです。
このコラムの第一回目として、なぜ私が若者の支援にこれほど強い想いを持っているのかについてお話させていただければと思います。
震災復興で感じた若者をサポートすることの大きな可能性
20年以上の私の社会人人生において、ターニングポイントは東日本大震災が起きた2011年でした。
この前年、当時働いていたNTTデータという会社の中で私は、世界中を調査した内容をまとめました。
「新しい考え方を持った "デザイン型人材" が世の中を強く引っ張っていくだろう。そういうデザイン型の人たちをたくさん創って未来に価値ある都市を丸ごと私たちの手でデザインしよう」という提言を掲げました。調査と提言なので、私も仕事の仲間も多くの人が「いつか実現するだろう」というなんとなくの雰囲気に包まれていました。
しかし、次の年に震災が起きます。数ヶ月後、現地に足を運んだ際に、何もかもが一瞬で飲み込まれてしまった凄惨な現場を目の当たりにしました。
私たちが前年、「いつか実現しよう」と言っていた内容は、「たった今」「この瞬間に」やらなければいけない、やる意味があるんだということを本当に強く実感しました。
我々には一体、何ができるんだろう。魂が震える想いがしました。
まずは目の前で見た大変な状況を、傷ついた日本全体を、立て直すことはできないか。再び立ち上がれる状態にできないか。少しでもいいからやれることをやらなければ。
そんな想いで、必死に考えたのは「明日から若者が等身大でできる復興を考える」というものでした。
急ピッチで企画をしました。想いだけで大きな会社を動かしながら、なんとか50人ほどの大学生に集ってもらいプロジェクトをスタートします。気づけば、想いを持つ若者たちと何かをしたいと思う社会人のメンバーも社内・社外から100人ほど集まり、プロジェクトは大きく加速していきました。
集まった大学生の皆さんの想いは、個々様々でしたが誰もが強い想いを持っていました。
「家族が被災したけれども自分は海外にいてどうすることもできなかった」という人や、「何かしたいと強く想うのだけれど、自分一人の存在があまりにも小さくて何もできない無力感を感じている」という人など、もどかしい想いを抱えている学生がたくさんいました。
それぞれの想いを胸に、たくさんの方がこの活動に賛同し関与してくれました。ちなみに、このプロジェクトは10年以上たった今でも私が起業家や経営者にお伝えしている情報デザインの考え方を初めて実践したプロジェクトでもあります。
成田で一週間、福島の松島海岸で一週間。どちらも合宿形式でプロジェクトを実施し、寝る間も惜しんで会場に缶詰で学生たちと共に等身大の震災復興について考えました。
彼らの持つ、どこにもぶつけられない怒り、抱えきれない悲しみ、被災地に想いを馳せ、何かを生み出そうとする感情が、様々な形で融合し、大きなうねりのようなエネルギーとなって、当時の現場はものすごく高い熱量に包まれていたことを覚えています。
学生たちの熱量に巻き込まれて、関わっている大人もどんどん目の色が変わっていきました。この状況に何か物事が変わっていく大きな可能性を感じていました。
この若者たちとの出会いが、若者支援を自分の人生の軸にする転換点につながります。どのような転換点が待ち構えているのか?私の感じた「希望」とは?次回、お話ししたいと思います。
▼第二回はこちらから
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?