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八日目の蝉 考察ほどではないただの感想文

人が生きていく上で「選択肢がある」というのはとても重要である。

特別お酒が好きというわけじゃなかった人も、緊急事態宣言下でアルコールの提供が無くなった途端に居酒屋が恋しくなったり、「このボタンは絶対に押しちゃダメだよ」と言われると押したくなったり。

大切なのは、酒を飲むのか飲まないのか、ボタンを押すのか押さないのかを「自分で選べる」ということ。

結果は同じだとしても、意図せずそうなってしまったのか、自分で選び取ってそういう結果になったのか、それだけで心持ちは全然違う。なぜなら未練が残るから。

そういうときは大体、あの時ああしていればこうしていればというタラレバばかりが思い浮かぶものなのだ。

希和子は意図せず子供を産めない身体になってしまった。

もしかしたら堕胎手術をしなくとも、自分で子を産まない人生を選択していたかもしれない。でも、貴和子に選択肢は与えられなかったのだ。

この物語の始まりは、何ひとつ選択できる立場に無かった希和子にとって、「恵理菜を誘拐して育てる」という1つの選択をしたとも言える。

産んであげられなかった我が子への思いを投影してのことだったと思うが、4年間の逃亡生活で希和子と恵理菜は本当の親子同然の信頼関係が築かれていた。

カルト集団を隠れ蓑にしたり、各地を転々としてやっと落ち着いた小豆島だったのに、突然終わりを告げた逃亡生活。

実の母親だと思っていた希和子と引き離された恵理菜もまた、自ら選択することを許されなかった被害者なのだ。

本当の母親の元で家族仲良く暮らし、誘拐犯は憎まないといけないと思っていても心がついていかないのは、希和子と過ごした4年間への未練。

大人になった恵理菜が希和子と同じく、家庭を持つ男性の子を妊娠してしまうというのもなんとも言えない気持ちになる。

ただ、幼い頃に希和子と過ごした小豆島を巡る旅の中で「お腹の子を産んで1人で育てる」と自分で決断できた。

自分の意思で決めたというだけでやっぱり未来は少し明るい気がする。恵理菜は希和子と同じ運命を辿っているわけじゃないと思える、救いあるラストだった。

誰の目線に立って観ても感情移入できてしまう。

道徳的には不倫も誘拐もいけないことだと分かっていても希和子を100%悪いとは言えない。実の母親が100%被害者だとも言えない。

善と悪が、いかに曖昧か。人間が背負っている業のようなものも考えさせられる。

観た人と語りたくなる作品でした。読んでいただきありがとうございました。

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